オリンピック狂想曲の日本 

最近のメディアは、軒並み猛暑の話題と、オリンピックの話題のみといっていいほどだ。

猛暑も異常といえるが、少なくともいくつかの要因はわかっている(と私は思う)。しかし、今の社会では、それに対する対策もとらないだろうし、それはある意味安穏とした人々のお気楽な暮らしに逆行する面もあるので、もはや自分の意見を表明する気にもならない。

さてオリンピックだが、
メディアがこれだけ一致してオリンピック万歳、オリンピック最高!のトーンで統一されると、いい加減うんざりであるし、その異様さに
気色が悪くなる。
 オリンピックに興味のない人、開催に反対の人も少なからずいるはずだが、そういう声は、大手メディアでは完全に黙殺されている。
もっといえば、オリンピックなどやってはいけない、あるいはオリンピックの開催が物理的に不可能になる可能性も少なからずあるにも
かかわらず、なぜかそれに触れるメディアはないようだ。
 オリンピック開催を、ただ熱狂して心待ちしているような、思考能力が欠如した人間ばかりが、今の日本にはのさばっているのだろうか?
そうは思わない。
メディアは、完全にコントロールされているのだろうし、反対意見、開催に水を差すような意見を公に述べることはできない世の中になっている
ということであり、これは恐ろしい統制社会ともいえるのではないか。

そもそも日本でオリンピックなど出来るのだろうか。
やっていいのだろうか?

オリンピックをやってはいけない理由のひとつは、いうまでもなく2011年3月の原発爆発事故の影響である。
あのときに、どれほどの広範囲の人々が被爆し、その影響が今でも出ているか、そのことに思いを馳せている人がどれだけいるのだろうか。
わたしは、少なくない人たちが、原発事故の影響を危惧し、移住したり、食に対する考え方を変えたり、食べるものを気をつけたりしていると思いたいが、一方ではそういうことを過去の出来事として、事故以前とまったく変わらない考え、暮らしをしている人も多い。
日本のメディアはほぼ何も報じないが、海外メディアは適宜報じているようだし、また海外でのほうが、日本以上にその影響を危惧している人も多い。
原発事故による放射性物質の広範囲への飛散により、少なく見積もっても数百万の人々が影響を受けていると思うが(私見ではあるが)、この数年で、近しい人がよくわからない病で亡くなったとか、健康被害を受けているというような例はないだろうか。私事だが、まず私自身がその影響と思われることで、ある健康被害を受けている。詳細は書かない。また、近しい人や知人、友人などに、重篤な健康被害などがいくつもみられる。
 放射線の影響だと決めつけられないものもあるかもしれないが、そうではないと判断出来ないものも多い。
また、食に関して言えば、東北、関東の広範な地域からの農産物、獣肉、魚などから、現在でも高濃度の放射線の汚染が見られる。まさか出荷していないと思いたい。

理由のもうひとつは、自然災害発生の可能性の高さである。
とくに、巨大地震や大規模な火山噴火は、起きる可能性が極めて高いと、専門家も認めている。
このような状況で、オリンピックを開催強行するのは、危機意識の欠如ではないのか。
起きる可能性がほぼない、というのならまだ理解できるが、可能性は極めて高いと言われているのに、なぜオリンピックの開催なのか。
たとえば、今月のうちに首都直下地震や南海トラフ地震などが、震度七以上の規模で起きた場合、オリンピックは開催できなくなるだろう。
そんなことは、当然政府も専門家も、担当省庁もわかっているはずだが、そんななかで、なぜオリンピックを開催しようとしているのか。
今からでも辞退するべきではないのか。

わたしたち、日本人ひとりひとりが、胸に手を当てて熟考する時にきている。


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by shmurat | 2018-07-25 19:24 | 今の世界を考える | Comments(0)