最近思うことなど

 長い間、ブログを書いていない。
実は、何を書いていこうか、考え直しているところもある。
今まで書いてきたことも、どうしても社会のさまざまなことに対する批判が多くなっているが、しかしそれは必要なことでもあるとも思う。
とはいえ、何か前向きなことも書けないのかとか、建設的な意見も書けないのかとか、諸々考えてきた。
いくつか見えてきたこともあるのだが、とりあえずこのブログは続けていこうと思う。
その時々で、考えたこと。社会状況や出来事から、ふと思ったこと。
何でも良いのではないかと思う。

さて、毎日暑い日々が続いている。
この数年を遡って思い起こしても、これほど暑かったかなあと思う。
もっと遡れば、夏でもエアコンなどいらない日々が普通にあったことを考えると、
さまざまな要因があって、気温が上がっているのは間違いないのだろう。
自然要因も小さくないだろうが、
人間の暮らしが問題である部分も少なからずあると思う。

日本では、最近の出来事といえば、西日本を中心に起きた、豪雨による被害だろうか。
これなどをみていても、人的な災害としか思えない部分も大きいように思う。
そもそも、この国には、家が建てられるような、人間が共同体を作ることが出来るような、平地が少ないということもあろう。
とはいえ、山を切り開いて、山裾に住宅地を建てるとか、近くに川が流れ、山も近い、さらに元来土地が低いようなところに、
なぜこれほど広範に人々が暮らしているのか、その辺も理解に苦しむ。
今回、大規模な浸水被害に見舞われた、倉敷市の一角でも、明らかに土地が低く、だからこそ堤防を作っていたが、
少し過去に遡れば、大きな水害が起きているところだ。
なぜそんなところに、町が出来て人が暮らしているのか、私にはわからない。
私事だが、9年ほど前に中古で家を購入したときにも、何十もの物件を内見し、さらにその周辺も含めた土地の
地盤や、土地の高低、過去の災害の有無、水害の可能性、地震の時の被害想定等々を、役所や政府、大学の研究所等の資料もあたりながら、
かなり調べた記憶がある。
どれほど気に入った環境、家であっても、少しでも災害の危険があるところの物件は諦めたものだ。
もちろん、災害想定は完全にはできない。
しかし、今回の被害にあった地域をみると、どれもが想定できる場所ばかりだったようだが、どうだろうか。
過去数十年の間に災害が起きていても、大金をはたいて家を建てる、購入するということを、たいていの人たちは普通に実行してしまうものなのか。
 さまざまな事情もあるのかもしれないが、なんとも釈然としないのだ。
もちろん、そういうところにある家は、値段も少し安いのだろう。とはいえ、数百万、数千万もの買い物である。
命を預ける場所でもある。
よほど慎重に考えるべきだと思うのだが、どうだろうか。
一般的にいえば、日本人は危機想定が甘い、危機意識が低い人が多いと感じるのだが、それも含めてまた別の機会に考えたい。
今回の災害に関する報道を見ていても、ボランティアがたくさん入り、被災者たちを助けている云々のお涙ちょうだいストーリーに
なっている面が多く感じられ、私的には首をかしげざるを得ない。
人々の危機意識のことを書いてきたが、それ以上に危機意識がない、あるいは責任があるのは、
行政であり、ああいったところに宅地を造り、家を建て、販売していた業者たちだろう。
美談にして終わらせるのではなく、そういった責任の所在もしっかりと明らかにしていくべきだ。
そういうことが、日本にはたくさんあるであろう危険地域での宅地造成や、行政のいい加減な危機意識をあらためていく事に繋がり、
将来的な災害を少しでも減らせたら良い。
今回の被災者たちには、いずれにしてもしっかりとした支援をしてもらいたいと思う。
 ひとつ書き忘れていた。
それは、今回の被災地でも少なからずあったようだが、地名が語る過去のこと。
2011年の東北でもそうだったが、地名や石碑などで、津波や地震などの過去は、警告として遺されていることが多い。
にもかかわらず、現代に生きるわたしたちは、それらを忘れ、あるいは軽視し、真剣に考えない。
つまり何が言いたいかというと、やはり人間が危機意識も忘れて、漫然としているからそういうことになる、という面もあるということだ。
被災者を揶揄する気などない。彼らの境遇が自業自得だとも言わないが、
しかし、少なくとも防ぐことは可能だったということなのだ。
区画整理され、表面的には綺麗な住宅地や、近くにショッピングセンターとかがあって、便利そうだねとか、
予算がないけど、この辺なら安くていいね、とか、そういった理由で、大きな買い物をしてはいけないのだ。
なによりも大事なのが、命であるならば、より一層慎重にも慎重に、住む場所を選ばねばならない。


私が長年見てきた中東の現状も、また私を憂鬱にする要因にもなっている。
何故こんな事になったのかなど、日々思いを至らせて、考えているのだが、もちろん完全な答えはでない。
時折報道なども目にするが、メディアの報道というのは、ますます、日を追って質が低下し、表層のみを捉え、
目に見えないけれど、なにか大切なことに思いを寄せることを拒否し、ますます真実から遠ざかっているように思う。

では、真実とは何なのか? 私にそれがわかっているのか?
おそらく、わかっている部分もあるけれど、それは微かな一面でしかないだろう。
でも、感覚的には、多くのことを感じている。
ただ、それは言葉にすることが、とても困難なことでもある。
間違いなく言えることは、メディアや多くのジャーナリストや専門家たちの雄弁は、漫然と聞いている多くの者たちには
それっぽく聞こえるが、霧の彼方の実像を微かにでも捉えた者たちには、たちまち見破られてしまう偽善に等しいということ。

わたしは、パレスチナの真実を伝えるとか、誰かの不正を追及するとか、そういった使い古されたフレーズで表されるいい加減な言説で
パレスチナやイラクやその他各地で起きていることを話したり、知ったかぶりをするつもりはない。
しかし、もっと人々が知るべきこと、知った方がいいことを、私が見てきたことや感じたことを、伝えることは必要だと感じている。
それらを、真に私が伝えることが出来たら、あるいは私の不器用な言説を聞いた人たちが、そこから何かを感じてくれたら、
それは、素晴らしいことだと思える。

ということで、中東やアフリカ、あるいは地域を問わず、何かしらおかしな事が起きている地域の事象を取りあげながら、
それについて私の考えを述べたり、私がどう感じるのか、どう理解するのか、あるいは聞き手にどう理解して欲しいのかなど、
話す機会を設けたいと考えている。

それらについては、またあらためて、何らかの形で伝えていきたい。



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by shmurat | 2018-07-21 22:35 | 今の世界を考える | Comments(0)