パレスチナのこと

 3月末から、パレスチナのガザ地区では、大きなデモ、抗議行動が拡がった。
これは、パレスチナのナクバ(大災厄)と呼ばれている、イスラエル建国とそれに伴う数百万のパレスチナ人たちの故郷喪失、離散、また1940年代当時のユダヤ人テロリストたちによる、パレスチナ人住民数百人の虐殺を記憶する日に向けて起きた行動であるが、前年までと違ったのは、多くの人々が自主的に参加していたことだろうか。
 パレスチナの人々が何かやる場合、メディア報道ではどうしてもハマースやファタハ、自治政府の名で為されることが多い。また、市民たちが自主的に行動しても、すぐに政治的な枕詞がついたり、宗教的な補足がついたりもする。
 それが正しい部分もあるかもしれないが、おおかたはレッテルによるものだし、ステレオタイプな考えによるものだったりする。さらにいえば、ナクバから70年が経過しても、結局メディアはほとんど何も理解していないということだと思う。
 パレスチナの人々の苦悩は、メディアにとっては、格好のネタでしかないのだろう。
わたしも、心の底からのパレスチナの戦いへのシンパシーや共感、自らの痛みと感じて、パレスチナへの関心は始まっているのだが、フォトジャーナリストという仕事に携わるうちに、結局メディアの流れに巻き込まれ、思うようなことを伝える事も出来ず、時間ばかりが経過してしまったということがある。
 そのことに対する後悔というのが、今の自分の実験的な行いに繋がっているのだが、今回の出来事に対する報道、あるいは欧米や日本のジャーナリストたちの報道を観ていて、いつまでも、いつかと同じようなことを繰り返しているなとの思いが強い。
 パレスチナで起きていること。
占領が続き、パレスチナの人たちのあらゆる権利が収奪され続け、土地や家屋なども奪われ、破壊され続けている。とくに、ガザでは、この10年隔離状態がより厳しくなり、ガザの多くの人たちは、東京都の6割ほどの土地から一歩も外に出ることも叶わず、何をするにもイスラエル軍政の許可が必要で、いつ攻撃されるかわからず、理不尽な攻撃で殺され、ほぼ全ての希望を奪われた状態が続いている。
 この事に思いが至れば、パレスチナの人たちの今の行動も理解でき、共感できるはず。また、武力で抵抗することについても、賛否や事の是非はあるが、少なくともわたしたちには、それを非難する資格も権利もない。
 実際、不条理を打破し、自由を獲得するのは、当事者たちの意志と行動による。今の世界の枠組みでは、法や政治のさまざまな仕組みややり方があり、非常に官僚主義的なプロセスがまかり通っているが、正義を獲得するのは、当事者たちの力だ。わたしたちのような外部の者に出来ることは、なによりも「知る」こと。そして、精神的な支持を続けること。
 こういうことは、全てが不十分であり、わたしはなによりも、知って貰うために力を注ぎたいと考えている。
残念ながら、メディアの硬直化、悲劇の選別、そして利益優先主義などにより、パレスチナなどの状況は、細切れにしか伝わらないし、センセーショナルなことが伝わり、より大切なことはデスクにより握りつぶされたりする。
 読者(視聴者)が興味がないから、とか、わかりにくいから、という理由で報道しない、伝えない、ことが少なからずあるが、それは伝えることを託された者としては、致命的な事だと思う。また、それらの裏に隠された真意は、それを伝えても利益にならない、ということだろうから、それはまったく本末転倒である。
 わたしたち人間には、本来共感性が備わっている。人間として、酷い目にあっている人がいれば、助けたいという思いも抱く。それは、なによりも大切なことは、命であり、わたしたちが行き続けて、誰もが平穏に幸せに暮らし続けること。であるはずだからだ。
 もし現代の世界で、そういったことがナンセンスだとか、伝わらないのだとすれば、それは何か方法が間違っているか、あるいはわたしたちが、そういった生来備わっている感覚を喪失してしまったか、どちらかであろう。
 わたしは、人間本来の感覚を今でも信じている。
世の中がどれほど変化しようとも、人間の根底に流れている心性、感性はそれほど変わっていないはずだと思うから。さらにいえば、もしそういうものを失っているのだとすれば、もはやわたしたちが生き続ける理由もないと思うから。
 だからこそ、今一度パレスチナや、世界で不条理な事態に直面している人たちに、その地域に興味を向けて欲しい。そして、そこに生きる人たちの人間性を想像し、感じて欲しい。そうすることの先には、人間としての共感があると信じたい。
 政治的なこと、経済や軍事の知識やディテールなども大事かもしれないが、そんなこと以上に、同じ人間としての意識の共有がより大切であり、それがもっとも重要なことなのだ。
 これからは、報道で目にする事にも、今までよりも深く吟味して、出来れば自分で少し調べてみることを習慣づけて欲しいし、さらにいえば、特に自分が気になることには、寄り深くコミットしてほしい。それは、本を読むことや、旅してみることなど、より能動的に関わっていくことでもある。そして、周囲の人たちをも巻き込んで欲しい。
 わたしがいまやり始めていることも、そういうことだ。そういうことのきっかけをつくること、といった方が、より正確かもしれない。


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by shmurat | 2018-05-23 17:21 | パレスチナ | Comments(0)