抵抗の文化がないのか?

 わたしたちの文化には、「抵抗」の二文字はないのだろうか?

これは、長年わたし自身も折に触れ考え続けてきたことだ。
詳細な考察は、ここではしない(そもそも私はそこまでやる気はないし、その必要もないと思う)が、近年の歴史を見ても、時おりそれらしき萌芽はみられたものの、全体としてはわたしたち日本人には、抵抗の大きな流れとしての文化はなかったような気がする。
 そして、ことに第二次大戦後の占領下、その後の長い自民党政権の時代に、わたしたちは完全に骨抜きにされたのだろうか。

このことを一番感じたのは、2011年の福島第一原発で起きた惨事の後、生活を未来を大きく損ねられ、多かれ少なかれ被爆し健康を損ねさせられた福島はじめ、近県、首都圏の人たちのほぼ全員が、誰も国に異を唱えて立ち上がらなかったこと(これは自身も含めてだが)、さらに多くの人が、発言やさまざまな表現を通しても抵抗していないことからだ。

また最近では、さまざまな行政の不正、わたしたち納税者に対する不遜な態度、施策、立場を勘違いしている役所の人間たちの態度。国家のさまざまな不正などがあるなかで、政府、内閣の支持は一定のレベルを保っていること(もっともこれは、野党の破滅的な状況の問題もある)。
 
 この国の異常な状態について書いていると、こちらの思考にも異常を来しそうなのだが、あきらかにこの国は、そこに生きるわたしたちの精神状態が壊れ始めていることはいえるだろう。そう思わない人がいるとすれば、その人の感覚がおかしい。
 
 さて、そういう状況のなかで、私もいままでは、ブログやSNSなどで書くことが多かったのだが、少し自分のやり方を変えてみようと思う。
自分の場を持ったこともあるし、わたしの活動を理解、サポートしようという動きも少しずつ出てきていることに鑑みて、まずは若い人たちを主にして、話をしていくことをはじめられそうだ。また、自分の場では、政治的な事も含めて、話す、話し合う機会をもちたいと思う。

草の根レベルで、自分たちの国が、政治が、行政が、異常な状態にあるという認識を持つことがまず重要。それから、どういう形になったらいいのかを話し合うことも大切。
 私見だが、今のシステムを維持するような改革、その枠内での抵抗、ということであるならば、それには意味がないと断言する。
なぜそうなのか、どのような形が望ましいのか、多くの人たちが生きがいを持ち、意欲を持ち、未来へ希望を抱けるのか、その辺のことをみなで語り合う機会は重要だ。

最近の報道をみたり、周囲の人々の意見を聞いていると、自分の頭がおかしくなりそうになる。
抵抗するというのは、それが成就しなくてもいいのだ。
おかしなことには、ある程度の痛みをも伴う形での抵抗は必然だろう。
結果として、それが潰えてもいいのだ。
抵抗の証が、選挙であるというなら、なんと哀しいことだろうか。
なぜなら、それは抵抗とはいわないからだ。

一昨年来日して、福島を訪れたアレクシェーヴィッチさんが、まさにこの国の抵抗の文化がないことに触れておられた。
彼女はそれ自体を批判することは慎重に避けたようだが、それに対する違和感、どうしようもない絶望感、疑問は抱かれたようだ。

そして、その疑問は、わたしも抱いた(抱いている)し、また彼女の発言を聞いた人たちも、その発言に同意していたと思いたい。
もしその発言に違和感を持ったり、反感を持つ人が多かったとしたら、
この国での抵抗は、それ自体が無意味なものになってしまいかねないから。



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Commented by cocomerita at 2018-04-09 03:07
Ciao shmuratさん
同感です。
抵抗と言うか、事勿れ主義の最たるものだとも思います。
抵抗と言うのは、ある程度のリスクを伴うもので、この国の人たちはそのリスクを負うことを嫌います
リスクを負うのを嫌がっている限り、真の抵抗など叶うわけもなく、今国会前で毎週金曜(でしたっけ?) デモをしている
やらないよりは良いかもしれないけれど、私は緩いなと言う感を拭えないでいます。
結局彼らは、ただ自分のために怒っているのではないかと。
社会の正義とか公に対する不正とかそう言うものではなく、
だって、shmuratさんも仰っているように、あの福島の事故以来 責任の所在もなあなあにされ、被害者である福島の人たちに加害者でもある政府が行なった、そして今も行なっている、失礼としか言いようのない措置に対して だれも怒らなかったばかりで無く、国民はほぼ静観を決め込みました。
そして 最近では 福島の自主避難の人たちの補助金がカットされた時もまた、国民はだれもこんなに怒らなかった
私は確かに森友事件は最大のスキャンダルだとは思いますが、どっちに対して、より怒るべきかと問われたら、福島の件を躊躇無く選びます。
自分と同じ国民がその権利を尊重されず、政府からこれだけ軽視されている
それはひいては国民全体とその権利を軽視している事であり、これこそ由々しき問題であると思うのですが、国民の人たちは皆向こう岸の火事を決め込む。
酷いなと思います。
税金一揆と言うのもやっていたようですが、一揆と呼ぶのなら、一斉に皆で不払い運動くらいやってみればよい。
最終的に滞納金付きで払わされるようになるとは思いますが、だれもそれをやらないし、やろうと言い出す人もいない

イタリア人がニヤニヤ笑って私を茶化すのは、君たち日本人はストをしていますと言うハチマキや腕章をして、それでも几帳面にいつもと同じように仕事を続ける。と

日本人は元々そう言う気質なのかもしれないと思う時があります
戦争をされても、自分の家族を失っても天皇を誰一人責める事なく、むしろ敬愛し続ける
私のように、ひねた人間からすると、お目出度いとしかいいようがありません




Commented by cocomerita at 2018-04-09 03:12
続き
第二次世界大戦敗戦後 アメリカは日本の教育システムまでも干渉しました
教科書までもです
そこで、取り入れられたのは、マニュアルに沿った偏差値教育と生徒を互いに競争させる心理的作戦
これでマニュアル以外の事を知ろうとする意欲、および創造性は削がれ、そして助け合おうと負う精神さえ育まれることはない
アメリカのせいだけにする気はありませんが、我が国の、自分の利益と保身しか考えない政治家のサポートも大きく作用し、先進国に仲間入りとばかり、見た目だけの裕福さと過剰な便利さを餌に日本人は皆肝を抜かれた、
同じ国民にされている事に疑問も抱かず、意義も唱えず、スマホみたいなおもちゃに夢中になっている
ここまで無知な国民だったかと情けなくなります

私は、義を見てせざるは勇無きなり、と、自己を律し、義と勇気を誇りとしたかつての日本を愛していますが、
今この国を見ていて、ブロイラーの養鶏場を連想してしまい悲しくなります。

そしてこの国の精神的衰退に当の日本人は気付かず、外国の人々が警鐘を鳴らす
自分たちのプライドを辛うじて維持するために、中国や韓国の悪口を言い、彼らを蔑視するのも、もういい加減に止めれば良いのにと思います。
我が身の恥を晒しているようなものですから、。
私はこちらで、日本人の知人はたったの一人、それに比べて 中国人の友人がたくさんいます
日本人の惚けた学生よりも 中国の学生の子達の賢さ、真面目さに感心します。
日本もそろそろ見たく無くても厳しい現実を見ないといけないですね
そうでなければ 、井戸の中の蛙で 井戸から跳ねでる筋肉さえも衰え、そして果てるでしょうから。
Commented by shmurat at 2018-04-09 23:04
こんにちは。
いつもコメントを書いていただき、ありがとうございます。
書かれていること、いつもまったくの正論であり、私も同感です。
この日本では、残念ながら、正論がそのまま通用しません。
私も、知人らと話していて、そのことでフラストレーションがたまることが少なからずあります。
何かおかしい、ほんとうはこうではないのか、そういうことを言うと、「それは正論だけどね・・・」という反応があります。正しい意見だけど、現実はそんな簡単ではない?実際には無理だよ、ということなのでしょうか。
私も、実際的に行動が出来ていないので大きな事は言えませんが、まずは知ることが大事だと思い、またできる限り意見は主張していきたいと考えています。
 現在は、自分の場を持っているので、さまざまな勉強会や知る機会を設けていきます。
 これからも、宜しくお願いします。
by shmurat | 2018-04-04 21:17 | 今の世界を考える | Comments(3)