私たちはまったく新しいヴィジョンをもって生きていく

 誰もが気がついていることだとは思うが、現在の世の中は明らかに歪み始めている。
数十年来そういうことの萌芽は感じられていたのだが、たとえば20年前であれば、今ほど多くの人が同意するような
状況にはなかった。
かりにそういう状況が見られても、それを感知することの出来る人はごく少数だったのではないか。
 しかし今、過半数の日本人がそれを感じているだろうし、その渦中で生き方を変えざるを得なかった人たちもいるだろう。
こういう時になって、どうしたら良いのか考え始めている人、すでに動き始めている人、悲嘆に暮れる人、あるいは単純に新しいビジネスチャンスと捉える人など、さまざまな対応の仕方があり、ある意味では非常に面白い時を、私たちは生きているともいえる。

 さて、私事だが、最初に兆しを感じたのはもう20年ほども前のことだった。そのころの幾多の戦場や紛争地での経験、それらの場での無数の不条理を前にして、漠然とこれからの自身の人生、社会、世界のドラスティックなシステムの変換や混乱を予想していたが、そのころはほんとうに微かに感じていただけであるし、人と話してもあまりにも曖昧な話でもあり、それほど深刻ではなかったのかもしれない。
 決定的だったのは、2011年の震災、原発事故であり、そのころ起きていたアラブ世界の大混乱であろう。自然を畏怖し、生かして貰うという至極当然の考えというか生きる知恵が消え去り、人間の作り出すもの、際限のない便利さの追求やそれと同義の利益追求に狂走し、そのためには自然など次々に破壊してきた私たちに、一歩立ち止まって熟考するきっかけを与えてくれた大いなる慈悲ともいえる出来事だったが、それさえも我々は「災害」と、ネガティブな表現で表し、まるでそれば良くないこと、自然がもたらした害悪かのごとく考え、それは防ぐことが出来たとの「人災」論へと傾いていった。福島第一原発の事故では、それが極まったと言えるだろう。物事の受け止め方、考え方の根幹を間違っているのではないか。

 あれから7年経ったが、記憶の風化とか、語り継ぐこと、今でも苦しんでいる、というどちらかといえば過去の出来事として、これからは復興(=ビジネス、利権追求)だ、○○では復興が上手くいっている(金儲け出来ている)、○○は想定どうりの復興が出来ていない(ビジネスが不首尾だ)ということが主に語られる内容だ。また、たとえば原発事故は現在もリアルな危機であり、これからも危機でアリ続けることなのに、まるで終わったかのごとくである。だからこそ、またも原発再稼働などが現実として起きているのであろう。原発再稼働の論拠も、表向きは安全だ(何故そんなことが断言できるのか)ということで押し切っているが、つまり金儲けの問題である。
 私たちの国では、いや世界でもそうだが、私たちが生きていく上でのもっとも大事なこと。第一義的に考えねばならぬ事はなんなのかが狂い始めているのだ。
いうまでもなく、第一義的に考慮すべきは、私たちの命であり、それを育んでいる自然を畏怖しその世界を守る、もっといえば極力手を触れないことであろう。しかし、今の人間世界では、それはそれほど大切なことではなくなっている。
そして今、やはり人間が作り上げた政治システムもあからさまに壊れ始めている。
最近の森友問題などもその現れであり、国や国民のことをさして意義あるものと考えてもいない政治屋たちで溢れる国政をみても明らかであろう。
 やはり最近報じられたことでいえば、たとえば議員年金復活なども良い例で、ようは国民年金では生きていけないから、老後の安心な暮らしの為に・・・・、ということらしいが、それでは国民年金で困窮を極めている1400万人からの国民の暮らしはどうなのか。議員年金のことを言っていた政治屋には、もちろん国民のことなどまったく視野に入っていない。

 このような世の中であるが、もちろんこのような状況は、人類の歴史のなかでは、何度も起きてきたことであるので、対処の仕方のヒントは、過去にもあろうし、また当然のように私たちが生きているこの大自然の中にもある。そういうなかで永劫のような時間の中で続くサイクルは、私たちが生きることの意味やその根源的なことまでの示唆を与えてくれるものなのだ。

私たちが、これからどれだけ感覚を信じて、また自分たちがなぜ生きていられるのかを理解し、誰もが少しでも生き方を変えていく世界へと変わるように。
 しかしはっきり書いてしまうと、そのようなことは当面起こりそうもなく、したがってさらに大きな自然からのメッセージが(大災害ともいう)遠からずやってくるだろう。
 そして、今の白痴化した日本人たちが一部で狂乱している東京でのオリンピックだが、これは絶対に止めるべきだし、そもそもその発想が完全に間違っている。
 そういうことにも気がつかずに、メディアも政府も地方自治体も、お祭り騒ぎに奔走している今の状況は、異様でもある。
ただ、そういうことも長くは続かないので、今のうちに存分に虚構のゲームを楽しんでおくのがいいかもしれない。
次に起きることを経て、私たちの生き様は否応なく大きく変わるだろうし、今まで弛緩しきっていた私たちの五感では、耐えられるのかどうかわからないのだから。



[PR]
by shmurat | 2018-03-16 11:04 | 今の世界を考える | Comments(0)