運命の話の続き

 昨日の話の続き

私も、このブログで書き散らかした駄文の数々のなかで、同じようなことを何度も書いているが、
また同じようなことを書いてしまったのが、昨日のこと。
今日も、そのことの続きなので、まあ適当に読み飛ばしてほしい。

新しい年が始まり、今年も様々な夢、希望に燃えている人たちも多いことだろう。

そんな気持ちに水を差すようで申し訳ないが、今年は昨年以上に大きな出来事が起きるだろう。
自然が起こす様々な事象もあるだろうし、人為的なものもあるやもしれない。

さて、ここで私が書きたいのは、何が起きるかではない。
そもそも私は、神でも預言者でもないので、そんなことはわからない。
感覚的な予感はあるけれど、それは書かない。
起きるかもしれないことに対しては、予防的に備えることが大切なので、
意識ももちろんだが、必要(かもしれない)モノを揃える、最低限必要なモノは日々携行する、
等々のことはやっておくべきだろう。
そもそも、危機管理がまったく出来ていない(人が多い)のが日本人なので、そのへんは各人が意識してやっていくしかない。

そのうえで、事が起きてしまったときには、
初期的には、救援や避難、命の確保や復旧活動等々忙しいことだろう。
しかし、すこし落ち着いてきたときに、まずは運命を受け入れること。
運命を呪ったり、悲観的になることは、できる限り避ける。
誰の責任でもないのだから。
あえていえば、人類全体の責任か。
そして、これからの生き方を、今までのことも踏まえて再考し、より良い未来のビジョンを描くこと、
それを実現していくことに意識を集中していく。

運命とは、人間が過ちを犯し、度が過ぎるときに、降りかかってくるものでもある。
なので、何故こんなことが起きたのかを冷静に考えて、自らの行いを振り返り、軌道修正していくこと。
それが大事なのだと思う。

先の大震災、原発災害の時に、そのことに気がついた人も少なからず存在するのは、多くの人が知っていることだろう。
全国で、万の単位の人たちが、生き方を変え、新しい未来へと地道に歩んでいる。
しかし残念ながら、この国の政府。
つまり、政治家や官僚、経済界の面々たち、また多くの一般市民たち、これらがまったく覚醒しなかった。
それどころか、人間が全てを凌駕して、人為的な装置で災害に打ち勝てるかのごとくの言動やあまたの建造ラッシュには呆れたものだ。
また、原発は即廃止、という選択肢しかないのに、検査基準を厳しくした等々の意味不明な戯れ言を繰り返し、
電力会社に至っては、絶対安全という、人間が発したとは思えないような言動を繰り返している。
これなどは、思い上がりの極限であろう。

運命それ自体は、私たちが選択する余地はない。
甘んじて受け入れ、未来を見据えるしかない。
しかし、愚かな政府や利権に目が眩む経済界のために、多くの人々がまた命を失うかもしれないと思うと、悲しみがこみ上げてくる。
少しでも、今この国で進行中の不必要で無駄で無意味な事業の幾ばくかでも止めさせられないかと思う。

そんなことなども、書いていきたい。
また、話をする機会も作っていきたいし、何らかの形で、そういうことを止める活動にも寄り添っていきたい。


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by shmurat | 2018-01-30 19:08 | 日々徒然の記 | Comments(0)