最近のこと

 今年はいつになく寒さの訪れが早いような気がしている。
それは、ある意味当然で、例年のように東京にいるのではなく、標高が700メートルほどある地にいるせいでもある。とはいえ、まだまだ日中は暖かく、暖房器具の世話にはなっていないが、遠からず暖房器具なしには過ごせない日が続くのかと思うと、それは多少憂鬱でもある。
 それはまた、人生をそれなりに長く生きてきて、始めての経験をしていることもあるのかもしれない。自分の店を持ち、日々収益も考えながら、これからの人生をどうしていこうか、などという問題にも直面しながらの生活。まだ二週間少しではあるが、改めて商売というものの大変さを実感し、一方では訪れる人と話をするのがとても楽しく、そういう意味では新たな人生を送っているといえるかもしれない。どこまでいっても、フォトジャーナリスト、戦場カメラマン(軽薄そうな響きが嫌いだけど)などの経歴はついてくる。それでも、それをネガティブに捉えていない人たちがほとんどでもあり、そういう仕事や私が訪ねてきた地域に興味がある人たちと話すのもまた楽しい。
 今回のビジネスをスタートさせるにあたって、私は映画上映はどうしてもやりたいと思っていた。映画といっても、ロードショー上映されるような娯楽作品ではなく、どちらかと言えば硬派なドキュメンタリーや、実際の状況に基づいた劇作品のことだ。
 私自身が写真を見せながらトークをする、ということもありだが(過去に何十回もやってきたが)、それは単発で終わってしまう。恥ずかしながら、話が下手な自分が何度もそういうことをやるのは、荷が重い。しかし、映画として難民問題、中東問題、国際支援や環境の問題などを見て貰い、それに自分の経験を補足したり、人々の疑問に答える、ということであれば、全く問題ないのだ。そして、店に映画のチラシを貼りだし、上映会のアピールをしていて、映画に関心のある人が少なくないことに改めて気がついた。今度の上映会に何人くらい来てくれるかわからないが、いずれにしても月に4〜5回は上映会が出来るようにしていきたい。
 まだまだ認知度が低いこともあり、来てくれる人は少ないが、それでも通りすがりに雰囲気が気になって入ってきてくれる人も連日いる。それらの人々は、結構長く滞在してくれ、古書を見たり、映画に関することを聞いてくれたり、また貸しスペースとなっている鄙びた和室でまったりと過ごしてくれたりしている。確かな手応えを感じ始めている毎日。より魅力的な場に仕立て上げ、多くの人々が訪れる場として盛り上げていきたい。地域の人のみならず、観光客、外国人等々が、気軽に来てくれ、珈琲を飲みながらゆっくりしてくれる場。そして、そこではさまざまなテーマで語り合えるような場。改めて意欲が湧いている日々なのだ。
 
 東京では、私はほぼテレビを見なかったのだが、現在実家で暮らしているなかで、テレビばかり見ている親と暮らし、否応なくみていると、じつに下世話で、低俗で、あんぽんたんな内容の番組が多いことに、改めて気がつき、ため息ばかりが出る。
 最近の話題では、SNSを媒介した大量殺人があったが、これなども極めて深刻な事象であるのは間違いないが、報道をみていると、覗き見的な下劣な報道ばかりであり、実に不愉快である。また、こういうことが起きた背景や、その本質的な部分に迫っているような報道は皆無であり、専門家と称する人たちも、驚くほど白痴的な論証に終始している。もちろん、一朝一夕に語れるほど、単純な問題ではないし、より時間をかけて深く掘り下げる必要がある問題であることも確かだろう。しかし、だからこそ、低俗なワイドショーなどで、軽薄なレポーターやコメンテーターたちが的外れなことを言っていてはいけないのであり、また被害者の方たちのプライバシーをより守るべきなのであり、公表する必要のない犯罪のディテールは伏せておくべきなのではないか(ある種のディテールの公開は、新たな犯罪への後押しであり、考える力のない人たちの下劣な好奇心を刺激するだけだと、私は思う)。
 また、今朝のテレビでは、前後の脈絡はわからないが、サウディアラビアの最近のトピックを取りあげ、サウディ王家のプリンスたちの金の話題を延々と続け、ほとんどバラエティー番組と化していた。実に情けないことである。サウディアラビアのことを取りあげるのなら、今もっともホットな話題(そして、極めて深刻な話題)は、レバノン首相を巡る問題であり、その底流に流れるイランやヒズボッラーとの確執、イエメン戦争のことや、さらにはシリア、イラク問題も含めて、アラブ・イスラーム世界全体の政治、経済、地政学を含んだ大きな流れが起きつつあり、またそれに伴いこれらの地に暮らす人々の生命や財産の問題やこれからの運命などを含めた、極めて重要な流れが出てきている。こういうことをしっかりと報道できない日本のメディアは、そもそも存在する意味がないといえるのではないか。

またつい批判をしてしまったが、これらの問題に関して、日本の人たちがより関心を持つべきだと思う。そういうことにより、メディアも、また人々の民度も上がっていくのではないかと、淡い期待をしているのだ。
 
 そういうこととは別に、今地方都市で暮らしてみて、東京にいたころともっとも違うのは、若い人たちと話す機会が増えたこと。そして、その若者たちが、意外にもしっかりと社会を見据えていること、自らの将来を考えていることだ。
 これは非常に良い流れであり、また私が自分の場を持った意図と親和する。私は、人に誇れるような生き方をしてきたとは思わないが、何か意義あることをしてきたとすれば、それは世界の多くの地域のことに五感を伴って触れ合い、そこで見聞したさまざまなことを確固として意識の中に保持していて、それを伝えることが出来ること。一方には、そういうことを知りたい人たちがいる。
 自らの経験を生かし、また今までに取材させてくれた多くの人々に報い続けるためにも、今の場を持ったことは時宜に適っていたのかなと思う。
 まだ始まったばかりだが、最近はそういう日々(あまりよくわからないかもしれないが)を送っている。そして、それは、ともすれば意気消沈しがちな意識を奮い立たせてくれ、また数々の希望をも抱かせてくれる。
 日々のさまざまな出来事も含め、適宜また綴っていきたい。



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by shmurat | 2017-11-14 22:33 | 日々徒然の記 | Comments(0)