この理解しあえない不寛容の時代に


 いつの世でも、人間は理解しあえていなかったのだろうか。
 数千年、あるいは一万年からの歴史の中で
 人間たちは、いつでも理解できず、
 不寛容で、対立してきたのだろうか。
 そして、見渡す限りの暴力、それに続く 死。

 この30年くらいの記憶を辿ってみる。
 自分の生きてきた時の流れのなかにしか、
 自らの経験として語れる記憶はないのだから。

 いつの世でも、圧倒的な暴力の力は存在した。
 それは、いつでもわたしたちの支配者としての権力だった。
 わたしたちを従わせるために、
 わたしたちの思考を奪うために、
 権力は機能している。
 そのために、機能してきた。
 そして、それは概ね成功を収めてきたし、
 成功している。
 そして、これからの世界では、
 より大きな成功を手に入れるのだろう。

 それでも、かつて人は、自ら思考していたのではなかったか。
 そして、決断し、行動していた。
 無数のそういったことが、現在の世界を作ってきたのだろう。
 世界の歯車がおかしくなってきたのは、
 わずか数百年前からのことではないのか。
 いわゆる産業革命というものがあったが、
 そういう流れの中で、人間の無能化が進み、
 地球規模での破壊、殺戮、支配が出来上がってきた。
 その流れは、今まさに極まりつつあるのだろう。

 しかし幸運なことに、
 わたしは、まだ支配されていない。
 思考を失ってはいない。
 そして、幸運なことに、
 そのような人たちは、まだ世界に生きている。
 これが微かな希望なのか。
 それはわからない。
 
 わたしたちは、ある意味とても便利な時に生きている。
 でもそれは、誰にとって便利なのか、そこを熟考する時にきている。
 わたしたちは、騙されていないか。
 欺かれ、目を逸らされていないか。
 冷静に、感覚を研ぎ澄まし、あらゆる瞬間に考える必要がある。
 わたしたちは、あきらかに踊らされている。
 世界を支配するなにものかに、操られている。
 
 わたしは、多くの人たちが、そういうことに気がついていると思っていた。
 しかし、じつはそれほど多くの人たちが、気がついていないのではないか、
 ここ数年、そんな疑念が生じている。
 いや、日本や世界の各地で接した人々との会話からすると、
 それは疑念というよりは、確信と言い換えてもいいかもしれない。
 やっかいなのは、彼らは気がついている、知っていると確信していることだ。
 わたし自身は、気がついているが、知ってはいない。
 いや、誰も知らないのだ。
 だから、知っているという人間、組織、政府、企業などは、ペテン師である。
 これだけは、間違いないようだ。
 
 さて、世界には、不信と憎悪と哀しみが噴出しているのだが、
 それを収めるにはどうするべきなのか。
 また、不信を取り除くためには、どうするべきなのか。
 それは、あなたが気がついていること、
 わたしも気がついていること、
 それを実践していくことしかないと思う。
 これだけ長い間続いている破壊と殺戮の時間、
 瞬時に世界を良くしていくような、特効薬はない。
 だけど、確実に世界を変えていく流れはある。
 
 ひとつ、誰にもやって欲しいことは、
 メディアから徐々に遠ざかること。
 とくに、大手メディアは、世界をコントロールしているモノたちが
 もっとも利用しているツールだから。
 そんなことはわかっている?
 わかっている人はよろしい、しかしわかっていない人がなんと多いことか、
 
 メディアを通してのストーリーではなく、
 自分が直接聞く、体験するストーリーを紡いでいこう。
 そして、他人の話にも耳を傾けよう。
 そういうことの交錯の先に、より穏やかな未来が拡がっているような気がする。
 大手メディアの低劣な報道、SNSの軽薄な口コミや噂の類い・・・
 かつてわたしたちは、そういうものを持っていなかった。
 そして、そのときのわたしたちは、より深淵な知識を持ち合わせていたはずだ。
 それらを掘り起こしていくことが、
 これからの人間たちがやるべきことかもしれない。

 メディアにのってやってくるあらゆる情報、感覚に共振しやすいもののなかに、
 罠が隠されている。
 自らの思考、
 自らの確認、
 それらを忘れずにいきたい。

 人が語る物語には、さまざまなものがある。
 だからといって、メディアが伝えるような、哀しみや悲劇ばかりではない。
 他人を慮る気持ちが少しでもあるならば、そういった報道ばかりはできないはずだ。
 メディア、取材者の立ち位置がわかりやすいのはいいのだが、
 浅はかさを覆い隠すことはできない。
 
 この困難な時代、
 わたしの能力だけでは、なにものにも立ち向かえないが、
 覚醒した人たちの環が拡がっていけば、
 何かが、少しずつ変わっていくだろう。
 変わりきるには、生の時間はあまりにも短い
 でも、なにも始めなければ、いつまでも変わらないのだ。



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by shmurat | 2017-06-17 17:05 | 詩・散文 | Comments(0)