パレスチナの終わりなき苦悩

 今日は、日本でも「共謀罪」が強行採決された。
さまざまな意見がネット上でも出されている。大手メディアの報道は、いつものように不十分であるし、政治家連中は、ろくな論議もせずに賛成、あるいは反対している。法案を推進している与党も、反対している野党も、どちらも的外れな議論をしており、これが正式な法として発効したときに、どういうことが起こりうるのか。多くの国民にはわかりにくい状況になっている。また、何が怖いかといえば、このような法は、拡大解釈されうることだ。かつての治安維持法もそうだが、一般国民は対象とならないというきわめて曖昧な法相の発言だけで納得などとうてい出来ない。とくに日本語の曖昧さは、どうとでも解釈出来うるので、権力に反対するだけで、危険分子とレッテル張りされかねないのだ。そもそも、テロ云々は口実であり、テロをほんとうに根絶したいのであれば、力で押さえ込むというやり方は完全な間違いであり、日本は欧米に追随するのではなく、一定の距離を置いて独自の道を探るべきだ。欧米追随の政策が、テロの危険性を増しているということに気がついているのか?あるいは、法を実効あるものにするために、テロを起こそうとしている(あるいは、起きるような状況に持って行こうとしている)と思わざるを得ない。

さて、アジアの西の端にあるパレスチナでは、もう70年以上もの間占領と戦争、非道な犯罪が続いている。今でも、この瞬間にも続いている。そして、ほとんどそれらが報じられることはないし、その不条理が終わる展望さえも開けない。
特にガザでは、より状況が絶望的であり、近年は自殺者も出ていると聞く。パレスチナは、多くがムスリム(イスラーム教徒)であり、自殺は非常に罪深いとされていて、通常はそういうことが起きることは非常に稀であるが、それがもはや覆い隠せないほどに起きてきている。これだけでも、どれだけ現実が耐えがたくなってきているかがわかる。
 私は、パレスチナに26年以上行き続けてきて、自分の無力に嫌悪を抱いている。
取材に行き、偉そうにその成果を発表するということは、もう二度とやりたくないし、また他のジャーナリストたちの報道にも、嫌悪や虚脱感しか感じないことがほとんどだ。
 もしかしたら、何かが変わるのではないか、少しでも希望を持ってくれる人たちの前に立ち、何を取材したらいいのかわからない。そういう思いが募り、個人的にはジャーナリズムというものに対する違和感や嫌悪感を抱いている。
 もちろん、まだこれからも、現地には行くつもりだが、そのときにはまったく違うやり方で、パレスチナを伝えたい、と考えている。カメラを手放すことはないだろうが、いわゆるフォトジャーナリストとしての立場では行きたくないと思う。
 最近、ガザの漁師たちがイスラエル軍に殺害される事例がいくつか報じられているが、漁師たちと過ごした僅かな時が、今ではとても懐かしい。そして、またガザのビーチに行って、彼らと地中海の夕日を見つめながら、静かな時を過ごしたいと思っている。

 写真は、海から上がってきた、ガザの漁師たち。2002年ころの撮影。

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by shmurat | 2017-05-19 21:29 | パレスチナ | Comments(0)