トリニダーの気怠い午後

キューバ革命は、さまざまな意味で私の生き方に大きな影響を与えてきた出来事のひとつだ。
革命のことを読み耽り、新聞や雑誌を読みあさり、写真に見入っては、いつか行くと強く心に誓っていた10代のころ。
チェ(ゲバラ)やカミーロたちの英雄譚に心躍らせていたあの頃が懐かしい。

時を経て、97年に始めてキューバの地を踏んだ。
ボリビアで米国とその手先に殺された、チェの遺骨が帰ってきたのだった。
あれほど憧れ、その著作を何冊も、何度も読み耽り、その崇高なる人間性に感動した人物。サルトルをして「20世紀で最も完璧な人間」と言わしめた革命家チェ。
目の前に、その人の小さな棺があった。キューバ革命軍兵士が両脇に立ち、その前に立った私は、ほとんど息も出来ないほどだった。
チェが勇名を馳せた地、サンタクララで、盟友フィデルが追悼の演説をした。
それらを目の前で見て経験した私は、大いなる感動に包まれながらも、何かが終わっていった虚しさも感じていたと思う。

実現しえていない夢であるときは、鉄壁のイマージュとしてそれは意識の中に存在し続けているが、
それがある程度実現してしまったり、自分の五感で体感してしまったりすると、
他の雑多な日常と混淆してしまい、いつしか砂のように崩れ、古いフィルムのように色褪せすり切れていく。

2015年にキューバを再訪した。
チェの記憶、革命の匂いは、ほとんど残ってはいなかった。
そのように予想していたが、実際には想像以上にそこには何もなかったといっていい。

米国との関係緊密化が進み、人々もキューバそのものも、どこか浮き足立っているように感じた。
しかし、たとえば、街角のふとした一角に、誰からも忘れ去られた、吹きだまりのような一角には、
なにか、かつての残滓が確かに残っていたような気がする。
ハバナを出て、トリニダー、サンタクララ、サンチャゴ・デ・クーバなどに行き、街を歩いていると、
変わらない匂い、変わらない気配に包まれて(それは、今ではほとんどわからなくなりつつあるが)どこか
俯き加減に歩いている人たちの表情にも、そんな内面が透けて見えるようだった。

キューバは、表面上は大きく変わっていくだろうけれど、いつまでも変わらないものは確かにある。
そしてそれを確認し、感じるために、私はまた行くのだろう。


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                  Trinidad Cuba 2015

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by shmurat | 2017-05-16 10:14 | 写真日記 | Comments(0)