福島第一原発で起きたことから考える 6年目の春に

2011年の震災、原発の事故からまもなく6年が経つ。
地震や津波で大きく破壊された地域は、さまざまな問題を抱えながらも表面上は復興が進んでいる。亡くなった人たちは戻ってこないし、今でも2600人以上の人たちの遺体は見つかっていないが、それでも人々は戻り、経済活動も盛んになり、震災の記憶も少しずつ遠くになりつつある、というところだろうか。

さて、福島浜通りや中通り、そして関東北部などの原発事故の被害を被った地域の問題である。表向きは、想定していたような被害が出ていないことになっているし、やはり多くの地域に人々が戻りつつあり、政府は平常化に向けて躍起になっている。こういう動きに対しては、私は当初から疑問に思っていたし、今でもそう思っている。そんな矢先、ひとつの記事を読み、問題の根は深いということを改めて感じた。
昨日、BUZZFEEDで報じられたレポートだ。
https://www.buzzfeed.com/satoruishido/3-11-communication?utm_term=.rjXyegwk4v#.iey1oYGgP2
「東日本大震災 なぜ福島デマが残り続けるのか?専門家が勘違いしてたこと」と題して書かれたこの記事は、根本的に論点がズレていると感じたうえに、シェアされた数が24万にも及んでいることを考えると、多くの人たちがこの書き手の主張に同意している可能性もあり、大きな問題を孕んでいると思われる。
 そもそも、福島で起きた事に対していわれてきたことは、ほとんどはデマではない。たとえば、放射能汚染地域で多かれ少なかれ被爆した人たちは、他の地域に移住するべきだとか、汚染地域の食材は食べない方がいいとか、長い目で見て健康被害が出てくる可能性があるとか、これらはその可能性が高いということはデマではなく、たとえばチェルノブイリやスリーマイルの事故からの教訓でもある。つまり、デアではなくて、危機管理の問題でもある。
 それを、医師や学者たちが、科学的に説明して住民の不安を鎮めようとしてきたのだが、そもそも科学的にわかっていることは少ないうえに、それが正しいという証明もないなかで、何故学者たちの言い分が正しくて、ネガティブな情報はすべてデマになるのか。
 また、明らかに御用学者たちが住民たちを誘導しようとしていると思われるのに、それには触れずに学者や医師たち「専門家」は正しい情報を伝えているとこの記事では言っているが、それ自体がバイアスのかかった情報ではないのか。デマに惑わされていると書かれている住民たちの意見の方が正しいのではないのか。
 記事のなかで、事故から半年後の福島県飯舘村で、住民を安心させようとして話した事例を取りあげているが、そもそも放射性物質は日常的に食べていたものにも含まれているとか、水道水も浸かって良いとか、過剰に健康リスクを心配する必要がないとか、この人はいったいなにを言っているのかと思わざるを得ない。原発事故に対してリスクがないということならば、何故チェルノブイリではいまでも30キロ圏では人が住めないのか、なぜ200キロ圏でも未だに健康被害が増え続けているのか、その辺の説明がつかないではないか。また、広島や長崎の例を持ち出しているが、原爆被災地ではさまざまな健康被害が出ている(ぶらぶら病などもそうだ)のに、それを原爆で放射線を浴びたことが原因かもしれない可能性を排除し、問題はないと決めつけている。この筆者が話を聞いた人たちは、明らかに政府や東電、経済界の言い分をそのまま伝えているだけで、それに科学の殻をかぶせているだけだ。復興させるには、リスクがあっては困るからだろう。
 先に、「チェルノブイリの祈り」で知られるアレクシェービッチさんも福島を訪れ、このときのことはテレビでも放映されたが、彼女ははっきりとは言っていないが(言えないという方が正しいだろう。これは、いまでも住んでいる人たちへの配慮でもあり、また故郷を思う人たちへの寄り添いでもある)、少なくとも避難するべきだとは言っているし、子供たちへの影響にも懸念を表している。これは、欧米の専門家やジャーナリストたちの多くが同じようなスタンスで伝えている(日本ではこれらは伝えられていないことが多い)。
 原発の事故が起きた後、放射線が振り注いだ地域で住み続けて、農産物を普通に食べていいのだとしたら、原発は大して危険ではないと伝えることになり、結果既存の原発を再稼働させようという方向へと動いていく。これは、まさに今の日本政府や電力業界、経済界のスタンスではないのか。そこに働いているのは、利権の論理であり、人間の健康を優先させようという視点は欠如していると言わざるを得ない。
 日本のおかしなところは、専門家を派遣してリスクはないとか、住民を安心させようと躍起になっているところである。そうではなくて、リスクはあるのだから、住民たちを避難させ、またそのために国や地方行政がバックアップすることではないのか。なぜ、福島に人を住まわせ続けないといけないのか。日本には、過疎化で人口減少している地域や農地が荒れ果てている地域がたくさんある。福島の原発被災地の人には、農家の人も多い。その人たちが移住し、農地を再生していくことは、誰にとってもメリットであり、日本を真の意味で元気にしていくことにも繋がる。そのために、国は支援していくべきなのに、それをやらない。やってこなかった。結局、経済的にも自分で動ける人たちだけが動き、金銭面やその他諸々の事情で残らざるを得なかった人たちは、放射能の問題だけではなく、経済面でも不安を抱えている。ほんとうに人々を安心させたいのであれば、放射能の危険のない地域で新たな人生を築いていくオプションを示していくべきなのに、それをしてこなかった。
 原発事故で放射線がまき散らされた地域のリスクは、これからも続くのだ。100年でも続くだろう。にもかかわらず、そこに住民を留めよう、あるいは避難している人たちを戻そうとするから、そこに不信が生まれるし、住民たちとの相互理解など生まれようがない。
 すでに6年が経ったが、遅いともいえるが、まだ間に合うともいえる。今からでも、住民たちを別の地域に移住させ、放射能のことなど考えずに暮らせる地域で、生活再建を図っていくことが、長い目でみたときに、日本を救うことになるのではないか。とくに、子供たちや若い人たちには、これからチャンスはいくらでもある。そのうえで、どうしても故郷で暮らしたいというお年寄りたちは、そこで留まるのもいいだろう。これも、チェルノブイリでの事例だが、お年寄りたちにとっては、精神的にもその方が良い可能性が大きいのだから。
 アレクシェービッチさんも言っていたが、健康被害が顕著に出てくるのは、事故から10年20年経ってからだという。だとしたら、まだ遅くはないのだ。とくに若い人たちを救うためにも、まだ国や行政、専門家たちに出来ることは多くある。科学的には云々ではなく、人間としてどう人々に寄り添い、少しでも多くの人たちを救おうという心をもって欲しい。こうすれば金になるからとか、そういった利権で動くことは止めて欲しい(私自身、住民を感化することが利益になるということで動いていた専門家を何人も知っている)。また、今でも出来ることなら避難したいと考える少なくない人々に、しっかりと金銭的な保証や行った先での生活再建のサポートをしっかりやって欲しい。そういう施策があれば、これからも福島から出て行く人たちはたくさんいると思う。それをネガティブに捉えるのではなく、人々を生かし、日本の地方を活性化させていくために必要なことだと捉えるべきだろう。
 先に触れた、BUZZFEEDの記事は、ある意味で非常に興味深いものではあるが、少なくとも筆者の考えであるということを明記すべきだ。今私が書いているこのブログも、もちろん私の考えだ。私は放射能の専門家ではないし、放射線が人体に与える影響を知る医師でもない。でも、過去30年近くの間、幾多の戦場や紛争地、また自然災害の被災地を取材してきて、人間が生きていくためにリスクにどう対処すべきか、ということに関しては多くのことを知っているし、科学や医学、あるいはそれらの専門家の意見というものが、いかに脆弱な論拠に立っているかもしっている。人間には、生物的に備わった感覚があり、それは命の危険に対して作用するものであり、その感覚を信じることが命を救うことは、少なからずあることでもある。
 専門家たちが、人々に安心を植え付けようとすればするほど、これからも住民たちや福島から避難した人たちとの乖離は深まるばかりだろう。それは、専門家たちの伝える能力の不足とかではなくて、人間の感覚を軽視していることの証でもある。今でも溶け落ちた核燃料が地中にあり、度々地震にも見舞われている。そういうところで安全ですよと繰り返すたびに、心ある人たちとの不信感は募るばかりなのだ。
 その観点からいえば、福島ばかりではなく、全土に50基以上の原発が存在し、しかもいつ大地震、津波、火山爆発などが起きてもおかしくないこの国に住んでいる私たちは、つねにリスクに備えなければならないのだ。問題を、福島だけに矮小化してしまうのではなくて、私たち全ての問題と捉えて、福島の人たちのことは自分のことでもあると考えて、生きていかなければならないと思う。

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by shmurat | 2017-03-06 11:02 | Comments(0)