最近のこと

 時が過ぎ去っていくのが早い。
年齢を重ねるごとに、時間の経過が早く感じられるとは聞いていたが、最近はとくにその思いを強くしている。
実際に過ぎ去っていくときの風圧が、微かに感じられるくらいに、足早に過ぎ去っていくような気がしている。

人生を悔いてもはじまらないとはわかっているつもりだ。
しかし、目まぐるしく変化していく周囲の状況のなかで、自分が何も成し得ず、ただ漫然と日々を過ごしてきてしまったなあ、という悔恨の情は拭いがたいものがある。
過去を振り返っても仕方がない。過ぎ去ってしまったことは変えられないとは思うのだが、自分がどれだけ無駄な時を過ごし、選択を誤り、そしてそれに対する気づきが
遅くなって取り返しがつかなくなる、そんなことを繰り返してきた日々、そんなことが多すぎて、考えるだけで目眩がするほどだ。
 そうこうしているうちに、人生も先が短くなり、大方のことは諦めるしかない、そう決心せざるを得ないということもわかっている。
そして、でもまだこれから出来うることもいくつもある、ということにも気がついている。
それらを実現して、確実に形にしていくためにも、過去の些末なことをいつまでも記憶の底からほじくり出していては駄目なんだ、そう自分に言い聞かせる。
それさえもが、空威張りのような気がして、来る日も来る日も気分は晴れない。

それにしても、自分がやってきたことはなんだったのか。
今となっては、それらに価値を見いだすことさえ難しい。自分の中では、それらの意義はもちろんはっきりしているし、実行してきたことに何の後悔もないのだが、
それを理解しているのが、自分以外では非常に少数の人にとどまるだろうということが、あまりにも侘しい。
そんなことはいいじゃないか、そういって慰めてくれる人もいた。
でも、人に伝えて、何かを変えていこう、ということを目的の一つとしてやってきたのに、それを理解し受け取ってくれる人がほとんど存在していないということは、
とても哀しいことだ。
 そういうこともあり、意識も変え、やることも変えていこうと試行錯誤してきたが、それは現在のところ、失敗しつつあるのかもしれない。
失敗とは認めたくないが、この数年の自分のやってきたことを振り返ると、押さえがたい嫌悪感が募るばかりだ。
 そして、この先の人生にも暗雲が漂っていると考えてしまう。
このネガティブな思考のサイクルから抜け出さないと、いつまでも同じ事の繰り返しだなあと思うが、それはそう簡単なことでもない。

 こういう精神状態にあることの一端は、社会状況にもある。
それはたんに戦争が続いているとか、人間心理のマイナス面ばかりを見せられることが多いとか、そういうことだけではなくて、そういう風に思わされる状況を作り出しているもの全てが原因だ。
メディアの罪は大きいだろうし、かつてないほど、その存在の意味を問われている。
また、安易にメディアを信じてしまう人々の多さ。
そういうことは、私のようにそれなりに世界のさまざまな事象を直接見てきて、多少なりとも知っていることも多い人間からすると、大きな無力感に囚われる。
なにしろ、人々は私の言っていることよりも、メディアを信じるのだから。
そんな状況も相まって、私の無力感は募る一方なのかもしれない。

また、かつては、正しいことをやり、伝えていけば、世界は変えられると考えていた時もあるが、
今となっては、大きな意味ではそれは出来ないと悟ってしまった。
これは不幸なことなのだが、正面からぶつかってしまえば、まったく勝ち目がないということは確かなことだ。
だから、これからの人生では、やり方を変えていかねばならない。

人は、人生を経る過程で、徐々に丸くなっていく。長いものに巻かれていく、という人がいる。実際、ほとんどの人がそう言い、またそういう行き方をしていることだろう。
しかし、私にはそれは一番あり得ないことのように思われる。
今の状況のなかでも、思考だけは30年前と変わらない。
そして、人間が、思考を拒み(拒否し)まるで機械のように蠢いている今の世界の趨勢を、嫌悪し憎むことはあっても、
それに同化したい、その流れに乗ってしまおうか、ということにはならない。絶対に。
はっきりいえば、そうなったら完全な敗北だ。
自分の今の状況をプラスに考えると、そうなっていないことの証。そうなっていないからこその苦しみとも言えるのかな。

とはいえ、今のままでは、そのうちに潰されていくことも間違いないだろう。
それは、少しずつではあるが、感じている。
だからこそ、根本的に変えていかなければならないのだ。全てを。

あれほど落ち込んでいた気持ちが、これを書いているうちにまた持ち直してきた。
考えもまとまらず、思考が空回りしながらも、やはり書くことによって、漠然と脳内を駆け巡っているだけの思考が、
少しはまとまりが見えてくるのだ。
もっともそれは、書いている本人にしかわからないのだけれど。

すごく小さなことだけれど、長い間契約してきた大手の電話会社を変える。いわゆる、MNPっていうやつだ。
あまりにも小さなことで、しかも俗っぽいことではあるけれど、そういうことも含めていろいろなことを変えていくことは
少なくとも、後退していないことの証ではあるし、私のような人間が増えれば、(何万、何十万となれば、だけど)長いものを代表する、そんな巨大企業でも、少しは変わっていくかもしれない。

 ということで、近く少し遠くへと足を伸ばしてみようかと思って、計画を立てている。
そんな話は、またそのうち。

2月も半ばとなり、めっきり日も長くなってきた。
こういうときには、流れゆく時にも、たまには良いこともあるなと思う。出来れば、このときのままに、少し立ち止まっていて欲しいと思うが、それは無理というものか。
 暖かくなるには、まだ少し早いけれど、そんな気配も確実に感じられる季節になってきた。

[PR]
by shmurat | 2017-02-16 11:21 | 日々徒然の記 | Comments(0)