自然が起こす事象について考える

 「世界津波の日 高校生サミット」が、高知県で開かれた。
若い人たちが、自分たちの住んでいる地域の自然現象やそれにどう対処していくかを考えていくことは、非常に意義があると思う。
 しかし、会議で挨拶に立った政治家が、「自然災害は、われわれ人類が対決し、立ち向かっていかなければならない大きな課題であり、一緒になって津波と戦う決意を共有し合おう」 
 と発言したことには、私は違和感を憶える。言った本人は深く考えていないのかもしれない。悪気もないのだろう。しかしここには、私たち人間が生きていく上で、本質的に考えていかなければならない命題が含まれている。それは、私たちは、自然に生かされており、その生も死も自然の摂理に司られている、ということだ。別の表現で言えば、私たちが生きるも死ぬも、それは運命であるということになるだろうか。
 そもそも私たちが生きているのは、自然が存在するからであり、それなしには私たちの生は、一瞬でも存在しえない。人間だけではなく、すべての生命体がそうである。なので、自然に生かされている私たちは、自然の摂理と調和の中で、分をわきまえて生きていくことが望まれていると私は考えている。もちろん私たちは、テクノロジーの恩恵を受けていて、それらは多かれ少なかれ自然を破壊したうえで成り立っているものでもある。また、そういった文明の利器と呼ばれるものから、完全に独立して生きている人間など一人もいないだろう。しかし、少なくとも、自分たちの暮らしが、自然を傷つけて成り立っているという意識だけは持っていたい。それは自覚するべきだ。
 そのうえで、少しでも自然に逆らわない、調和を目指す暮らしを実現していくべきなのだろう。
思えば、5年前の震災(この言葉もおかしいと思うが、とはいえ他に相応しい言葉もなかなか思いつかない)で、私たちは自然の力を思い知ったはずである。私たちは、大地震とか大津波などが起きたとき、ほとんど為す術もないということを、改めて実感した人は多いだろう。また原発の事故を人災という人もいるが、そもそも原発がなければ起きなかった事故であり、その存在自体がまったく自然の摂理に反している原発というものを、まるで容認しているかのようなことを言う人が少なからずいることが、私には信じられない。
 私とて、原発の事故を想定はしていなかった。これは、自身が過信していたことも原因だと思うが、いずれにしても、あの事故を見てしまった以上、それが人災かどうかということを議論するという本末転倒なことは止めるべきだろう。あれは、人為的なミスもふくめて、起こるべくして起きた事故なのだと考えられないだろうか。それは、自然からの警告とも受け取れるし、そう考えるべきだと私は思う。だからこそ、あの後脱原発の世論が盛り上がった時には、このまま廃炉になる原発が増えていくことを少なからず信じていた。
 しかしあれから5年を経て今の日本で起きていることはどうだ。廃炉どころか、再作動への動きが強まっているではないか。これに対して、原発反対の立場から発言する人もいるが、私は賛成とか反対とかの問題ではないと思う。はっきりといえば、反対という意思表示さえも、自分たちが自然をコントロール出来るという過信の上に乗ったことばだと考えられないか。
 津波の問題でもそうだ。津波が来るから防潮堤をつくるとか、地面をかさ上げすればいいなどという考えは、まったく何もわかっていない人の考え方であり、結局あれほどおおきな自然の予兆があり、多くの人命が失われたことが、なんの教訓にもなっていなかったということなのだ。
先の政治家の発言は、実は多くの人たちに共通する考えなのだろう。そもそも自然災害と対決するとか、戦っていくとか、いったい自分を何様だと考えているのか、まるで神であるかのような物言いではないか。
 万物の長のように振る舞う人間と対決し、戦っているのは自然の方だとも言えるのではないか。もちろん、自然ははるかに大きく強い存在なので、人間と戦う必要はない。しかし、私たちに徴を示すことで、私たち自身に気づきの機会を与えてくれているのだと、私は考える。
 しかし残念ながら、少なくともこの日本という国の指導者や経済界のリーダーたちの多くは、まったく教訓を得ることもなく、さらなる開発や人間にとっての利便性に突っ走っているようにみえる。最近では、リニア新幹線の建設などもそうだが、何故作るのか、意味がわからないものばかりを作ろうとしている。東京や地方で相変わらず蔓延しているさまざまな開発もそうだ。そいうったことで経済界やゼネコンは利益になるのだろうが、それらも結局は虚構だということに、いつになったら気がつくのだろうか。
 その一方で、5年前以来、地方への移住を実践する人が増えている。また、自然にインパクトを与えない暮らしをも実践する人が増えてきていることは素晴らしいと思う。小さな一歩かもしれないが、そういうことでしか、私たちの未来は救えないといえるのではないだろうか。
 全てをドラスティックに変えることは難しい。でも、少しずつ暮らしの形を変えていくことなら出来るはずだ。たとえば、1日に1時間でも電気を消すとか、いままでスーパーで買っていた野菜を自分で作るとか、車や電車に乗っていたのを、少し歩いてみるとか、そんな小さなことから始めることが、暮らしを変え、自分を変え、社会を変えていくと信じたい。
 また、そういう意識を持ち始めると、便利なようでいて、実は必要ないことやモノがいかに多いか気がつくだろう。
 いずれにしても、対決するような姿勢を改めて、調和していくという新しい考えで生きていくことで、新しい視野が開け、私たちの未来も少し光が差してくるのではないかと確信している。

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by shmurat | 2016-11-26 22:49 | 今の世界を考える | Comments(0)