リニア新幹線についての考察

 リニア新幹線の工事が始まった。
2027年開業予定であるが、その巨額の建設費や環境へ与える影響など、多くの懸念事項があり、また工事の安全性なども含めてあまりにも不透明な部分が大きく、またそもそも何のために必要なのかということも、しっかりと議論されないままに強行される工事には、大いに疑問を感じざるを得ない。
 とくに、南アルプスルートは、トンネル工事のために一千メートル超の深度で掘削されるということもあり、技術的な未知数な部分と相まって非常に見切り発車的なところを感じる。
 11月1日。長野県の大鹿村でもこのトンネル工事が起工されたが、村議会でも辛うじて承認されたとはいうが、反対は根強く、また10年の工事期間の間に、毎日村内を走るダンプカーは1300台を超えるとのことで、この風光明媚で自然の美しい大鹿村を完全に破壊してしまう開発だといえるだろう。また、大きなダンプが走り回る村内で、学校へ通う子供たちが安心して暮らすことが出来るのかも懸念される。いずれにしても、地域住民の声を無視したあまりに強権的なやり方でもあるし、なにより安全だとか、環境に配慮するだとか、あるいは経済が発展するとか、あまりにも表層的なことばかりを主張し、もっと本質的なことを避けている。
 起工式では、県とJR東海、工事をするゼネコンの関係者らが出席したが、地元住民らは排除され、また何の説明もなく物事が進められている。
 
 私たちが便利さや効率を第一義に考えるようになったのはいつからだろうか。昔からそういったことは多かれ少なかれあったのだろうが、戦後になってからその傾向が加速したことは間違いないだろう。世界的な傾向ではあるが、科学や技術革新、利便性が最優先され、根本的な暮らしや、それを支えている自然環境や伝統的な文化などが蔑ろにされてきた。その結果として今の社会があるのだが、その便利さは生活のなかに浸透し、それが普通のことだと思い込んでしまっている。そして、その弊害としての環境破壊や公害、さまざまな病が頻発しているのだが、それさえも根本から考えて改善していこうとしない。私たちは、そんな異常な世界に今では暮らしている。
 
 大鹿村は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)のエコパークにも指定されている。また、日本アルプス地域は、昔から人々の信仰にも深く関わってきたし、動植物の豊かな生態系もあり、空気や土壌の良質さもあり、それが人々の豊かな暮らしを維持してきたし、それに魅せられた人たちが移住してきて、自然との共生を考えて暮らしている。そのような地に、交通が便利になるとか、経済発展が見込まれるとか、観光が促進されるとか、もしそんなことを達成することを目的としてこれだけ大規模な環境破壊を決行するのだとしたら、愚かなことである。そして、それによって破壊される自然や生態系は、容易には元には戻らないのだ。そのことがどれだけ大きな損失であるか、私たちは改めて考えないといけないのではないか。
 また、戦後70年続いてきた今の社会のあり方、経済最優先で動いてきた社会、効率とか快適さばかりを追求してきて、さまざまな環境破壊や健康被害を見て見ぬふりをしてきた社会を、今こそ再認識し、足下から変えていかねばならない時に来ているのだと思う。
 
 リニア新幹線に関しては、あまりにも規模が大きく、これによって破壊される自然や人々の暮らしは、まさに原発建設に匹敵する(直接的な影響では、それを遙かに上回る)ことでもあり、このことに関してさらに人々の反発が強まってくるだろう。政府や経済界の子飼いに成り下がっている大手メディアは、こういった大事なことを伝えない。しかし、メディアが伝えないところにほんとうの問題があるものなのだ。
 大鹿村でこれから起きようとしていることは、長野県山中の小さな村で起きる些末な出来事、ではない。それはまさに日本全体、私たち全員が直面することの縮図なのだといえる。
 出来るだけ多くの人たちが、この問題に関心を持ち、そして関心を持ち続けて欲しい。これを機会に、大鹿村へ行ってみることも良いかもしれない。美しい自然環境を実感して、美味しい農産物を味わいながら、地域の人たちと接して、起きようとしていることの愚かさをより感じる事ができるだろう。

原発再稼働へ盲進し、オリンピック協奏曲に酔い、今でも各地でゼネコンの馬鹿げた開発を継続し、そしてリニアで日本の背骨を掘り尽くして破壊しようとしている。この国は、いや、国なんていうものは、どうでもいい。それは、人為的に作り出された単位であり、本質的な意味は大してない。しかし、この大地、私たちが住んでいるこの豊かな大きな島(日本)は、今では至る所で悲鳴を上げている。そして、さまざまな徴を示して、私たちに警告している。
 私たちがそれら徴を無視し、あるいは気がつくこともなく、この虚構の社会の中で享楽の限りを尽くしている生活を続けるならば、遠からず何が起きるかは想像がつくことではないか。

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by shmurat | 2016-11-02 08:48 | 今の世界を考える | Comments(0)