命を守り、生を継承していくために

 以前から思っていたことだが、世界的に命を軽視するような風潮が強まっているようで、非常に危惧している。世の中が大きく変わり続けている今の世界では、数百年、数千年の長い時間をかけて築かれてきた、私たちの社会のさまざまな文化や規範、宗教などの影響で確率されてきた常識や人間社会で生きていく上で守るべき最低限のモラルなどが、少しずつ崩れ始めているのは間違いないだろう。しかし、命の大切さや重要さに対する認識までもが崩れてきているのだとしたら、私たちは自分たちがどっぷりと浸かり、普通だと考えている現在の社会のさまざまな決まり事や法律、考え方なども含めて再考していかなければならないだろう。
 先にも若い女性が、過労の為に自らの命を絶ったと報道されていたが、そもそも過労死と言われる状況が、私には理解しがたい部分がある。普通に考えると、そこまで追い込まれるのならば、仕事を辞めればいいのに、と思いがちだが、そういう普通の考えが出来ないところまで追い込まれたり、精神的にさまざまな影響を受けた結果として、過労死があるのだろう。だとすると、周囲の人間の問題でもあるし、会社のシステム、すなわち社会システムの問題でもある。また、法律の問題でもあり、また根本的には、そういったものを容認している(あるいは意識せずに受け入れている)私たちの問題でもあるのだろう。
 いずれにしても、日本ではとくに過労死という状況が多いように認識しているが、なによりもまずわたしたちが認めなければならないことは、命の重要さを上回る仕事など存在しないということ。命を失うような状況で維持される仕事というのは、何かがおかしいし、そもそもそんな仕事が多少遅れようとも、あるいは達成されずとも、実はどうでもいいことなのだ。そういう認識を持つことが大事だろう。システムの歯車となってしまうのではなく、少し立ち止まって人間としての自分を取り戻して欲しいと、多くの人に対して訴えたい。

 

 現代世界に渦巻く、不信と憎悪、戦争が多発しているのも、結局は命の軽視、命よりも重きを置くことが他にあり、そのために命を軽視している結果としての戦争。
 そして、PKO.この国連平和維持軍、というのは、平和維持という名目と、国連部隊ということで、あたかも平和を作り出す、あるいは平和に貢献すると錯覚するが、実際問題としては、軍隊であり、過去の例を見ても、平和を作り出した実績はない。また、紛争を解決せずに固定化したままの現状維持を続け、結果として問題解決を阻害していることも多い。また、現地に存在する武装勢力と対峙するなかで、1武装勢力と化してしまい、紛争を泥沼化させることもあり得る。
 平和を作りだそうという活動に、武力でということは、究極にはありえない。初期段階で武力を伴うことはありうるだろうが、それはあくまでも当事者によるものであり、国連などの部外者が入って行うべきものではないと思う。
 そういうなかで、現在自衛隊がアフリカ、南スーダンの首都ジュバに駐留しているが、11月に交代する部隊から、駆けつけ警護が可能になるという。
 国連PKO部隊は、国連が国際社会の決めた秩序を回復する、つまり世界的な常識としての欧米流の価値基準での平和というものを押しつけるために存在し、そのことによって、現地にもともとある価値基準や歴史や文化的なことなどはほぼ考慮されていない。つまり、そういうことによって、現地では不満を持つ人たちが存在することは、どのPKO部隊派遣地域でも同じことであり、そういうこともあって彼らが平和を創出、回復した事例がないのも道理である。
 何よりもまず、現地の人たちや、現地に影響力のある、あるいは歴史的に繋がりのある、近隣の国々や人々が、話し合いで解決していくべきだが、現在の世界システムのなかでは、そういうことも困難になりつつあるのもまた確かであり、非常に難しい問題でもある。
 そういうところに、土地勘もなく、歴史的な繋がりもなく、地域の歴史や文化への関心や理解も低い日本が、武装していくとなると、何か問題が起きたときにはどう対処できるのだろうか。もし、他のPKO部隊を守るという名目で、自衛隊が現地の人を射殺したとき、それから生じるさまざまな事態をどう解決していくつもりなのか。その辺まで考えたうえで決めたことなのか。
 いずれにしても、力で対峙するという姿勢を見せることは間違いだし、自衛隊のみならず日本人全体にとって、大きな不利益が生ずることになり、その影響は長く残ることになる。
 時の政権の近視眼的な浅はかな考えの政策から生じる事態は、日本にとっての不利益であることはもちろん、現地の人たちにも悲しみや怒りを生じさせ、双方にとっての不幸の連鎖となっていくだろう。
あくまで民政での協力、和平への仲立ちをしていくことが、日本にとっても現地の人たちにとっても、長い視野でみたときに、お互いの利益にもなっていくし、人間としても好ましい道だと信じる。また、そうすることが、無駄に命を失うことなく、だれもが生を全うする社会を作っていくことへと繋がるのではないか。

 先に挙げた過労死のことも、PKOの問題にしても、詰まるところ日本社会がグローバル経済に巻き込まれ、効率や成果を優先し、利益第一に邁進していることの結果でもある。利益というのは、結局は金銭的な利益であり、そのような形で利益を上げ、他の人々や国などより上に立とうという考えは、今に始まったことではないが、明らかに間違いであるし、そういった考え方、やり方はすでに破綻していることに気がつかねばならない。
 相互に尊重する考えは、本来私たちが持っていたものであるし、現在でも心の奥底には、誰もが持っているもののはずだ。社会生活のなかで自分本来、人間本来の心をしまい込んで、システムのコマになってしまっているなかで、忘れているだけなのだ。
 一歩下がって、深呼吸をして、冷静に考えて欲しい。そして、本来の自分を取り戻して欲しい。そのようにして、意識を取り戻す人が増えていくこと。それが、私たちを救うことになる。
 個々の命を守るため、本来の生を取り戻すための意識変換、つまり本来の人間性への回帰は、結果的により暮らしやすい社会を実現し、世界的には、真の平和な社会実現へと進んでいくだろう。
 今のシリアはじめ、憎悪と憎しみが支配する現場では、誰もが自我を失っている。
私は、イスラームの内包する至高のメッセージ、人間に対する極めて高質なアドバイスと生き方への的確な教えを信じているからこそ、今起きていることに大いなる悲しみを禁じ得ない。また、混乱を作り出し、覇権を得ようとしている力に翻弄されていながら、イスラームを利用している勢力には、怒りを禁じ得ない。
 シリアだけではないが、世界の市井の人々の中で、覚醒していく人たちが増えていくことが極めて重要だ。そして、そういう人たちは増えてきている。今の世界を支配するシステムは末期症状であるし、それに組み込まれて盲従している人たちは、ある意味それを知っているからこそ、後先を考えずに利益追求に狂乱しているのだろう。私たちは、それを変えようと動いても意味が無い。それよりも、自分たちが覚醒し、周囲にそのように接して、静かに社会を変えていこう。そうすることによって、そういうプラスの力で世界を満たすことによって、世界を変えていこう。
 今からでも遅くはない。ゆっくりとした長い道のりだけれど、私たちが生を全うしていくためには、それしかないのだから、肩の力を抜いて、静かに前に進んでいこう。
 そんな私たちの歩みは、次世代の人たちから、必ず理解され、感謝されることになるだろうし、それこそがまさに求められていることなのだから。







[PR]
by shmurat | 2016-10-10 07:39 | Comments(0)