古の弓神楽

 昨年から度々広島県のある小さな町へと訪れている。
もちろん単なる旅とかではない。最初は、地域への移住を促す県の企画に乗っかって行ったのだが、行ってみるとどうも魅力的な場所だなと感じた。かといって、自分がただ移住するとか、そういうことではなくて、せっかくの縁なので、なにかこの地域の活性化に寄与できないのか、それも自分の得意分野を生かして出来ないかと思った。
 町の歴史資料館などに当たり、いろいろ調べた結果でてきたのが、弓神楽だった。
偶然にも、弓神楽の奉納のタイミングで現地にいることが出来た私は、とにかく観にいこうと考えて、古くからある神社での儀式に立ち会った。辺りを闇が包み込んだころに、弓神楽に先立って行われた地域の豊穣祭の提灯行列が境内に入ってきて、太古を叩き、小さな社に蝋燭を灯し、簡単な祭は終わる。
 その後、弓神楽が神社の弊殿にて執り行われた。
その神楽は、私が想像していた神楽とはまったく異なるものだった。今までに、神楽というものをテレビで見たり、あるいは目の前でも何度かみたことがあったが、それらとは根本的に異なるものだと感じた。
 神楽というと、華美な衣装を纏い、太古や笛の音を背景に舞うようなものを想起する人が多いかと思う。私もそうだった。しかし、弓神楽では、そういうものが一切ないのだ。
 取り仕切る宮司が弓を前に座し、祭文をひたすら唱えながら、細いばちで弦を叩く。それは、ほんとうに楽器の演奏といっていいもので、実際にバチが弦を弾くことによって醸し出す音は、楽器のそれであり、またインドやアフリカや中東の弦楽器のそれに極めて近いものだ。そして、聞いていると、なぜかその物語の中に引き込まれ、1時間ほどの儀式がまったく長いと感じない。というより、あっという間に時が過ぎ去り、終わったときにはもう終わったのかと思い、それまでの弓の呪縛から解き放たれて、一種の放心状態に陥る感じだ。
 儀式の終盤、祭文の終わりと共に、宮司が膝立ちになり、おもむろに目の前の弓を取り、弓で頭上に張り巡らせた切り飾りを一気に祓い、儀式用の弓矢をつがえると、天井の隅に放つ。それをなんどか繰り返すが、それが悪霊を退散させることになる。
 これは、いったいなんなのか。神楽なのか?私は、まったく引き込まれ、取り入られてしまった。なんとも判然としないが、そのときその場を支配していた、古の気配に纏わり付かれ、その世界に浸りきっていた。
 弓神楽というのは、家族や共同体の人たちを結びつけ、信頼関係をより強固にして、幸せを呼び寄せるものだ。光を招き、光で私たちを包み込む。そして、平穏な世界を現出させる。そのために祈る、祈祷の神楽なのだった。
 そのときにその世界に魅せられた私は、以来何度も撮影に行き、そして今回、その取材を成就させ、弓神楽のフォトブックを作り、公演を行い、多くの人に知って貰い、この先も長く続いていくようにとの願いを込めて、クラウドファンディングを開始した。
 ぜひとも、多くのご支援をいただきたいと願う。リンク先がクラウドファンディングのサイトだ。是非見ていただき、直接・間接の支援、そしてまた友人や知人等へのシェアもお願いしたい。

 現在の世界は殺伐とし、家族はもちろん、地域共同体、民族の繋がりも希薄になり、それどころか、憎しみや反目が煽られるようなことになってきている。
 そんな世界を変え、また平穏な世界にするためにも、弓神楽の伝統を守り、未来へと繋げていくことは意味があると考える。

https://readyfor.jp/projects/8881

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by shmurat | 2016-10-02 17:57 | 日々徒然の記 | Comments(0)