この国の終わりへの始まり

 私生活でさまざまなことがあり、また日本や世界各地はじめ、さまざまなことが目まぐるしく起きている。繁忙のなかで、ブログの更新がいつのまにか滞りがちになっていた。

 それにしても、日本という国の政治の末期症状はもはや末期症状になってきているのかと思う。もちろん、そんなことは以前からわかっていたことだけれど、東日本大震災を契機に、さすがに誰もがわかったと思っていた。
 すぐにすべてを変えていくことは難しいけれど、少しずつ変えていかなければならないと、誰もが心に誓ったと思っていた。
 それが、あれほど大きな徴(災害というけれど、それは自然からの、神からのメッセージだと私は信じている)を目の当たりにし、また多くの犠牲を生じたことに対する私たちの当然の思いであり、反応であると思っていた。
 
 しかし、今のこの国の現状はどうだ。
わずか5年前に起きたことを完全に忘却し、それ以前と露ほども変わらぬ勢いで、利潤追求へと猛進する政府、政治家たち、経済界、そしてそれらに群がる有象無象の群れ・・・・。
 それらの病巣の一端が、現在現れ始めている。豊洲の市場移転問題、東京五輪に関わるさまざまな問題、原発の再稼働問題や福島はじめ被災地での原発被災に関わるさまざまな問題、頻発する異様とも思える殺人や社会的事件の数々・・・。
 世界的な問題でもあるのだが、とくに日本は突出して壊れ始めているような気がするのだが、気のせいだろうか。
 これらに関する解説とか、分析をすることは多くのジャーナリストや専門家に任せるとしても、これらは、そういうことを超えて、私たちの感覚でわかることであるはずだし、専門家がどう言った、政治家がどう言った、ではなくて、私たちひとりひとりが自分で考え判断するべき問題ではないのかと思う。つまり、かつてのように上に任せておけば国は安泰、社会は安寧という時代は過去のことで、今や私たちは何も信用できない、自分たちで判断して進んでいく、そういう時に来ているのだと思う。

 マスコミもあまりにも馬鹿げた報道を繰り返している。連日の報道を見ていても、物事の些末にこだわったり、表層に囚われたり、あるいは過度にセンセーショナルに取りあげるだけ、いつもそうだったが、今ではそれがさらに極まったといえる。

 そういう大きなお祭り騒ぎやそれに関わる金の問題に踊らされている場合ではない。私たちの国は、地方の疲弊とか、人口の急減とかがいわれているけれど、私たちの歴史や文化の存続の問題が現実的になっており、見えにくくて地味かもしれないけれど、私たちはそういったことを掘り起こし、残し、伝えていかなければならないのではないか。
 表層的なお祭り騒ぎに囚われているうちに、いつのまにか私たちの基盤である歴史や文化をも失ってしまうとき、私たちは足下をすくわれて、未来をも失ってしまう。
 報道の低俗さと実際に起きている低俗さに囚われることなく、私たちの足下をしっかりと見据えて行かなければならないだろう。
 それにしても、判断の難しい、困難の伴う時になったものだと思う。ただ、こうなることは頭の中ではわかっていたことなので、実際の状況が想像を超えている面はあるけれど、だからこそ私たちはドラスティックに変わっていける、新しいことに挑み、またほんとうに大切なものを守って生きていくことが求められているのだと思う。



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by shmurat | 2016-09-30 08:37 | 今の世界を考える | Comments(0)