難民支援、国際援助などについて思うこと

 現在の世界は、対立と紛争がいくつも起きている。そして、人間が平穏な暮らしが出来なくなるような状況が生まれる時、家や土地や共同体を追われ、日々の食べ物や安全に生き延びることにさえ窮する人たちが出てくる。このような人たちのことを、現代世界では「難民」と呼ぶ。もう少し厳密に分けると、国の外へ出ている人たちを「難民」国の中で逃げている人たちを「国内避難民」とか呼ぶ。いずれにしても、そのような境遇に追い込まれる人たちは世界的に増える傾向にあり、UNによれば2015年末時点で6530万人以上に上るそうだ。世界の今の状況を実感として感じている身としては、UNの出してくる数字はかなり少ないのではと思うが、いずれにしても非常に多くの人々が単に生きること、毎日食べること、そんな普通であるべきことにも窮している現状があることがわかる。
 何故こんなことを書いているかというと、先日知人のSNSの投稿で、「ポバティー・インク」という映画のことを知ったからだ。世界では、先にも書いた通りに、戦乱やさまざまな争いなどにより、平穏な暮らしを維持できない状態に追い込まれる人々がいて、そういった人たちを助ける、支援するという名目で、UNやさまざまなNGOが世界中から集まってくる。困っている人たち、死に瀕している人たち、あるいはさまざまな理由で(主に戦争などのために)経済的にも困窮している人たちを救うということは、一見素晴らしいことと思えるし、またエモーショナルな写真や映像と共に、涙を誘う文句が添えられて、そして寄付を募られると、思わず応じてしまうということは、意外に多くの人たちが経験していることかもしれない。たとえ数千円でも、それで人が救われるのなら、と思ってしまうのは仕方がないが、そういった人間心理につけ込んで支援活動というビジネスを行っているのが、上はUNから下は小さなNPOまで、数え切れないほどの団体や組織が、困っている人たちを助けるという名目のビジネスで利を為している。それで困っている人たちが救われるのならいいが、実際には救われているとは言いがたいと、私は感じてきたし、現在も世界で行われている支援活動の実態や、紛争などの推移を見ている限り、多くの善意を募って長年続いているほとんどすべての支援活動には、意味がないと言わざるを得ないと断言してしかるべきではないかと思っている。
 私が突拍子もないことを書いていると思う人もいることだろう。そしてまた、実際にる特定の団体に寄付をしているという人も少なくないと思う。そしてそういった人々は、たとえ少額であっても、何か良いことをしたという満足感を得ることが出来るし、また自分が支援している個人や国には多少なりとも関心を持ち、そういうこと自体は悪いことではないともいえる。しかし、関心を持つが故に騙されやすいともいえる。自分の関心の対象が困っている、緊急に支援の必要があると言われると、疑う術を持たないことがほとんどだからだ。
 こういった場合の情報をどこから取るのか、これは極めて難しい問題だ。はっきり言うと、完全に間違いのない情報を持っている個人や組織など、まず存在しない。また、問題が起きている地域のどのレベル、どんな人、組織との関係性があるかによって、手に入る情報は微妙に違ってくる。そういうことを考えると、よほど慎重になって情報を得ることが必要であるし、またある国や個人のことを心配だと思ったとしても、それに対してお金で支援するということには、今まで以上に熟慮することが求められる。
 たとえばパレスチナも、そういった支援が長く続いている地域であるが、この70年以上の間、幾多の国際機関やNGOなどによる支援が行われてきて、もちろん現在も行われている。しかし、全体としてはパレスチナの人々の苦難に終わりは全く見えないし、パレスチナという実効的な国家が出来る可能性も当面は低い。支援が続いているから、多くの人たちが救われているのではないか、そう思う人もいるだろう。支援がなければ、多くの人が命を落とすのではないか。そう考える人もいるだろう。しかし、私はそんなことはないと思う。
 まず、悲惨な状況を見せることによって、場合によっては演出することによって、多額の支援が得られるとなると、そのように装うことがないといえるだろうか。また、パレスチナ支援をすることが実入りの良いビジネスになると思えば、それを実行する個人や組織が出てこないだろうか。私の実際の経験や現地での見聞からいえば、残念ながら、それは実際に起きている。そして、これはパレスチナだけに限らないが、紛争を長引かせること(実質的な平和への努力を怠ること)が、そういった支援(ビジネス)に関わる人たちを長く儲けさせることになるし、また紛争が続き難民たちがいつまでも難民でいることが、こういった組織や人々を肥え太らせることになる。つまり、紛争終結や難民がいなくなることに真剣に取り組んでいない勢力が明らかにあり、またそれは小さな勢力ではないということだ。
 また、本来は、自分たちの社会で自浄能力を持っている人たちが多かったはずだが、長引く紛争の中で、安易に援助に頼る気質も生まれてきている。それはそうだろう、酷い状況にある。困っている。助けてくれ、そう叫べば、世界中から金が集まるのだから。まじめに働こうなどという気力も失せようというものだ。
 こういうことが長引くことによって、本来あった民族性や彼らの文化、または人々の気概や意欲さえもなくなっていく。つまり、難民たちを救うのではなく、難民として固定化することにより、世界中の何万という人たちがそれで利益を得続けるし、それ以上に問題なのは、一度難民というレッテルを貼られた人たちの多くは、死ぬまで難民となり、その子や孫たちも難民となり、自分たちの尊厳も生きる意欲も失っていってしまうのだ。
 ほんとうに紛争を終わらせることは出来ないのだろうか。これは、紛争と難民支援という、現代世界システムの中で利益を生む大きな流れがあり、それを打破していくことになるので、実現には大きな抵抗もあるだろうし(紛争と支援事業で食べている人間や組織は、抵抗するだろうから)、対立を作り出し、戦争を起こし、難民が出て、また戦争が起こり・・・、という動きがすでに100年以上続いている近現代の世界の流れの中で、ほんとうの意味で利権を捨て去り、命を守ること、平穏な暮らしを送っていくことの大切さを、どれだけの人たちが心から理解し、そのために利権を捨てることが出来るかどうか。そこにかかっているといえる。
 もうひとつ難しいのは、難民支援ということが、それに共鳴して積極的に関わる人や組織を、素晴らしい人たち、組織だと思わせる風潮があること。だからこそ、多くの著名人が難民支援に関わり、また多くの起業が、さまざまな支援名目でお金を出し続けている。このあたりは、人間の意識を根底から変えるしかないかもしれない。残念ながら、有名人たちは自分の立場をより強固にするためのダシに難民となった人たちを利用しているだけに過ぎないし、その辺の演出が非常に長けている。この問題に関しては、あらゆる意味でアンテナを張り、歴史や文化や宗教なども尊重したうえで、考えて行動していくこと、支援していくことが必要だと思う。
 ともすれば、いかに難民を支援するか、どんな支援が必要か、ということに考えが偏重していくことが多いが、なによりも大切なのは紛争を終わらせることだし、さらにいえば、多くの紛争では、私たちも間接的には責任を負っていることが多い。紛争を終わらせるために寄付をする、そのためにディスカッションをしたり、話し合いのきっかけを作っていくことなど、やるべきことは多いと感じる。しかし、それ以外の分野では、基本的には当事者たちがやるべきだし、出来るはずでもある。私たちが難民と呼び、彼らの支援について語るときに、多くの場合は上から目線で押しつけがましいことになっている。しかし何よりも紛争地の歴史や文化を尊重し、その上で彼らと協働していくことが極めて重要だと思う。緊急支援にしても、彼らの立場を尊重することが一番重視されるべきなのに、UNや海外のNGOの活動を現地で見ていると、どうしても押しつけがましい、あるいは援助してやっているんだ、という姿勢が明らかであり、見ていて極めて不愉快である。こういうことは援助活動に関わっている人たちでもわかっている人は少なくないはずだが、やはり自身がそこから利益を得ている、それを仕事としているということもあり身動きできないのだろうか。あるいは、根本的解決よりも、組織の改革で対処出来ると思っているのだろうか、だとすると認識が甘いと言わざるを得ない。
 紛争で家や土地を奪われ、父祖伝来の地を去らざるを得ないことになった人々に、実は援助活動は追い打ちをかけるように、より非道なことをやっているケースが少なくない。それはなにか。生活や家族を失ってきた人たちの、歴史や文化、さらにいえばその大切な記憶をも蔑ろにして、それを捨てさせているのだ。
 私たち誰もが、心から深く考えるべき問題である。


追記
 ちなみに、文中に出てくるある特定の地域で活動するNGOの活動すべてに問題があるということではないが、そういう面が多くあるということ。私自身は、ほんとうに命がけで紛争地の人たちの為に動いている人たちを知っている。しかしそれ以上に、組織として末期症状にあるところも少なくないし、明らかにはげたかのような人間も何人もみている。その辺も含めて、多くの人たちに関心をもってもらい、また熟考してほしいと思う。


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by shmurat | 2016-08-23 22:07 | 今の世界を考える | Comments(0)