酷暑と京都と「月と六ペンス」



運転をしながらも、鉄板を通して伝わってくる熱気が車内に漂い、「強」に設定したエアコンから吹き出す冷気をものともせずに、肌に纏わりついてくる。サングラスを通して見る視界は、ユラユラと揺れる陽炎のように、なかば溶け始めているように映る。

 梅雨も明けて、本格的な夏が始まったばかりの週末、ただひたすらに西へと向かう私は、京都で高速道路から降りた。東京からほぼ休息もせずに運転を続けていたので、疲労困憊していたということもあるが、どうしても行きたいところがあったので、少しだけ道を逸れてみようと思い立ったのだった。

 一つ目の目的地は、玄米菜食のお店。何故か京都には、美味しいヴィーガンの店がいくつかあるが、数年前に気に入っていた店を思い出し、せっかく昼食を摂るのだから、そこに行ってみようと思ったのだ。

 わかりにくい京都市内の道を彷徨い、ようやく目的地にたどり着いて食した食事は、オーナーが以前とは変わっていたものの、店のコンセプトは同じであり、食事も(そして値段も)満足のいく、良心的なものだった。

 次に向かったのは、「月と六ペンス」ここは以前行くことが叶わなかったのだが、是非行きたいと思い続けていた店。知っている人もいると思うが、敢えてカテゴリー別けをすれば、ブックカフェといえるのだろうか。

 非常に目立たない一角に、店名もかなり控えめのカフェが佇む。車内で感じていた以上の熱気に包まれていた私には、ついに見つけた店のサインさえも、もしかしたら暑さのあまりの蜃気楼かと思えたほどだ。四方とアスファルトからの熱、そしてやはりあらゆる方向から押し寄せる喧噪にせき立てられるように階段を上り、古いマンションのドアのような入り口を押して一歩店内に足を踏み入れる。

 瞬間的に店内から出てきて私の体を包み込んだのは、間違いのない「静寂」。そして、ほどよく効いたエアコンからの冷気。目の前には、こちらに背を向けて静かに椅子に腰掛けて、読書に勤しむ人が数人。笑顔でこちらに歩いてくる店主。

 これだけで、疲れ切って殺伐としていた私の体と精神は、たちまち弛緩していき、安寧が支配するその場にまるで行きつけの店のような落ち着きを感じていた。

 極上のアイスコーヒーを飲みながら、目の前に並ぶ文庫本に目を懲らす。何故か私の好きな作家の作品が幾冊も並んでいたが、無意識に堀江敏幸の小品を手に取り、心持ち変色した紙の上に踊る文字たちに視線を走らせる。雑音がしない不思議な空間。目の前の窓からは、行き交う自動車たちや人々の様子が逐一見えているのだが、音が聞こえないせいか、まったく意識が逸れることはない。たちまち堀江氏の紡いだ世界に埋没し、時折ストローで苦みの際立つ珈琲を啜りながら、東京の下町の物語に集中していた。

 あまり時間を取れなかったこともあり、文字通り後ろ髪を引かれる思いでカフェを後にしたが、ここには必ず戻ってこよう、そしてあの物語の続きを、この場所で読もうと決めた。

 モームの書いた「月と六ペンス」には、象徴的な意味があるといわれているが、京都の町を見ていると、まさにその意味合いが具現化していると思われる。このお店をだした人がそこまで意識していたかどうか、それはわからないが(いつか聞いてみたい)、そんなシンボリックな名前のカフェで、不思議な時間を過ごし、そしてまた俗世に帰って行く。短いけれど、意味深い時を持てたことに感激、感謝し、再びハンドルを握って網膜を焼き尽くすかの如き夕日に向かってアクセルを踏み込んでいった。



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by shmurat | 2016-08-06 17:39 | 日々徒然の記 | Comments(0)