アッラーの御心のままに

 今朝のNHKで、紛争地から日本に逃れてきている人たちの話があった。
彼らの経験や意見をもとに、平和の為にはどうしたらいいのか、日本人としてはどう考え、行動すべきなのか。ということが、大まかな主旨の特集だったと思うが、やはり状況認識の甘い人たちがほとんどの出演者たちの中で、表層的な意見しか出てこなかったのは、まあ想定どおりというところか。
 シリアやアフガン、イラク、パレスチナ、ビルマ(ミャンマー)などの経緯をもとに、また日本もかつては云々という話であるが、基本的にはそういった話にはあまり建設的な意味はないと思う。私たちは、この類いの話を、たとえばこの20年の間にも数多く見聞しているし、そのたびにまるで初めて聞いたかのようにいつかと同じ話を始めるのは、正直なところ聞いていてうんざりする。
 もちろん、戦争で辛酸をなめ尽くした人々にとっては、是非語りたいこともあり、またそういった人たちの話は聞くべきだと思うが、問題は受け手の私たちが、彼らの話を聞いても真意を理解出来なかったり、私たちのニュアンスに編集し直してしまっていて、(これはテレビの編集はもちろんだが、私たちの脳内編集も含む。これは、つまり知識がないために、言葉の含意を理解出来ていないから)、結果的にせっかく大切な話を聞いているにもかかわらず、伝えた側と受けた側には、大きな溝ができたままなのだ。
 こういう状況になっていることの大きな原因のひとつは、もちろんメディアの責任に帰するところが大きい。そして、この問題を克服出来ないメディアには、存在価値はないと私は考えている。
 そもそもメディアというのは、起きていることを伝え、さらにそれを取材した記者の視点で捉え、伝え、原因を追及し、解決への道筋を示すことをやるべきなのだが、とくに日本のメディアの場合、こういった当然行われるべきことが出来ない、出来ていない。
 私はフリーランスの立場で、大手メディアの報道に関わったことがあるが、私のように知っている人間が、現地の人、被害者の立場で伝えようとしても、「そんなことは日本人にはわからない」「日本人は関心がないから・・・」「複雑すぎてわからない・・・」等々と言われ、結果としてバラエティーの延長のようなレポートになってしまう。つまり、取材などしなければ良かったとなり、取材した相手には期待させてしまった分、非常に失礼なことであるし、伝えられるのではと思って一生懸命やった私には、大きな徒労感と罪の意識が残った。
 また、戦争の現場ともなると、多くの人道支援関連のNPOなどが関わっているのだが、彼らの真摯な思いやその活動は、メディアよりはよほど好ましいものであるにも関わらず、多くの場合地域の人の為にはそれほど意味をもたらしていないし、長い目で見ると難民、被害者という立場を固定することに手を貸しているようなことにもなっている。これは、双方にとって悲劇だ。
 メディアの問題、NPOの問題。そして、多くの現地に行くこともなく、それほど関心もない多数の日本人や欧米人たちと、戦火の中で絶望や哀しみ、怒りの火の中で平常心を失っている人たちとの間をどう取り持ったら良いのか。どうしたら、双方の理解と協調が計れるのか。もっといえば、双方は同じ人間として、互いに感情を揺さぶりあい、共に生きていけるのだろうか。
 私は、これは可能だと思うが、ただ簡単ではないとも思う。おそらく、ほんとうの意味でわかり合うには、私たちも同じような状況に投げ込まれるしかないのだろう。しかし、そのときにはすべてが手遅れでもあり、しかしそうなってからこそが、人間が真の意味で開眼し、ほんとうの人間としての生を生きていくことが出来るともいえる。
 例によって長くなりそうなので、そろそろ筆を置こうと思うが、私たちは相手の言うことをよく聞いて、それをストレートに理解しようとするべきだ。
 また、私たちの価値基準や文化や歴史からくるある考えや思いを押しつけることも止めるべきだろう。また、これはいつも思うことだが、難民とか貧困とか「貧しいけど云々」の表現とかを使ってはいけない。これはどれだけ指摘しても、わからない人が多いのだが、こういうことは心の底からの思いと共に、真の理解があるかないかに関わることでもあり、よほど熟慮し、自分がやっていることの意味も含めて考えて欲しい。
 今朝の番組で、シリアの男性が言った一言が、私には印象に残り(それはムスリムの人が普通に言う言葉でもある)、そしてそれがある意味すべてを表していると思ったが、そこに気がついた人はどれだけいただろうか。彼は、シリアのこれからについて、「アッラーに祈るしかない」という意味合いのことを言ったのだ。この言葉に含まれる多くの意味、そしてその本質的な意味を、どうか是非考えて欲しいと思う。そしてそれが微かにでもわかったときに、彼らに対して上から目線でものを言ったり、また戦争だから金銭や人道支援をすればいい(しなければならない)的な発想は出来なくなると思うし、違和感を覚えることだろう。
 はっきり言うが、今シリアで起きていること、アフリカ各地で、イラクで、パレスチナで、ビルマ(ミャンマー)で、その他さまざまな不条理と思えるようなことが起きている世界各地のことに思いを馳せるとき、なんとか平和になって欲しいと思うとき。ほんとうに出来るのは祈ることであるし、また私たちが真摯に祈り、自分たちの行動を見直すことからしか、真の解決は生み出されないのだと思う。
 私が書いてきたことを、少しでも多くの人が理解出来ることを望むが、おそらく多数の人は何も感じず、スルーしてしまうのだろう。そして、今日もまた世界で多くの人たちの死や哀しみが溢れるなかで、それぞれの人たちが勝手な思い込みと共に何かを感じ、話し、やがて自分たちの目の前の暮らしに埋没していく。自分たちの生が、いつか突然奪われることなど、想像さえ出来ずに。

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by shmurat | 2016-08-04 14:57 | 今の世界を考える | Comments(0)