バングラデシュ、ニース、トルコ・・・度重なる悲劇の向こう側

 先にバングラデシュでテロ事件があった。このときには、日本人が犠牲になったこともあり、日本でも大きく報道された。
その後、フランスのニースで起きた出来事は、世界の多くの人々を震撼させた。テロはもちろんだが、そのやり方が酷いものだったし、また誰もがバカンスを楽しんでいる場所を狙ったということで、これ以上不条理なこともそれほどない。例によって、犯人はイスラーム圏の人間だったということで、今後の反ムスリムの動きなども心配だが、この事件では多くのムスリムも犠牲になっている。推測だが、動機はおそらく個人的なことではないかと思う。
 そしてトルコで起きたクーデター未遂。これもあまりにも見えない部分が多いが、エルドガンの自作自演説まで飛び出し、状況は混沌としている。
 
 これらの悲劇のどれにも、ムスリムが関係しているのは非常に残念なことである。最近はあまり報道されなくなったが、シリアでは恒常的に戦争が続いている。日々人間たちが、普通ではない死を迎えているなかで、多くの人たちは目を向けない。ニュースにならないことには意識が向かないという、これはメディアの問題でもあり、より大きな意味では人間の心の問題でもある。
 そして、さらに報道されることもないが、日々人々の苦悩が続いているのは、パレスチナである。あまりにも多くの事が起きすぎていて、いちいち挙げることもできないが、ガザやヨルダン川西岸に暮らす人々には、毎日が拷問のような日々が続いている。そしてそれは、実質的には70年も続いているのだ。

 私たちは、今が世界の不条理が集中して起きているときだと思っている。私もそう思ってしまうし、この数年、いやとくに2,001年の米国でのテロ以来、世界がおかしな方向へと進んでいると考えている人は多いだろう。その認識は、正しくもあり、間違いでもある。というのは、こういった大きな事件や事故、戦争などが起きるのは、今に限ったことではないからだ。この100年、いや200年くらいで考えても、世界でどれだけの戦争や虐殺、大事故や天変地異が起きていただろうか。人間は、悪いことが続くと、意識が内向きになり、ちょっとしたことも何かの予兆に感じたり、身の回りの小さなことでさえ、大きな流れに引き摺られた結果だと考えてしまったりする。
 とはいえ、今起きていることが、大きな社会の変革へと人類を誘うような類いのものであることは確かで、だからといってそれをネガティブに捉えることはなく、そういうことを経て世界はより安定と安寧の時に向かいうるのだと思う。要は、今を生きる私たちの意識の問題でもあるのだろう。
 たとえば、イスラーム世界で大きな変革が起きている(人為的に起こされているかもしれないが)うえに、欧米のキリスト教世界との軋轢が強まり、至る所で不信が渦巻いてはいるが、こういうことが起きているということは、互いに相手を知って協調していきなさい、というメッセージでもあるのだと考えたらどうだろうか。こんな事でもない限り、互いのことを知ろうとか、もしかしたらその存在すら感じないかもしれないのに、お互いの存在を意識し、その文化や歴史を知る機会があるということで、これは文字通り神に感謝すべきだと私は考える。大事なことは、日々直面する問題に不寛容で応えるのではなく、まずは相手を知ろうとし、いかにして共生していけるかを第一に考えて行動すべきなのだ。
 今の世の中を負のスパイラルに陥らせているのは、憎しみには憎しみで、力には力で、という相手を圧倒しようという意識が個人にも政治にも働いていて、そこには対話の機運がほとんどないこと。たとえば、パリでテロが起きたから、その黒幕がいるシリアを空爆しよう、というあまりに短絡的で、不可解な対応。まず、黒幕がシリアにいるかどうかも含めて、それは司法がしっかりと捜査すべきことであり、たとえ実行犯たちがテロ組織の名において行動を起こしたとしても、多数の無実の市民を殺すことになる空場などは、よほど熟考し、明らかな証拠でもつかんでいるのでなければ、やってはいけないことだ。もっといえば、たとえ証拠があってもその対処法は、空爆ではない。空爆をすることにより、フランスは(先のパリの事件についてのことで、ここでは書いている)テロ犯の行動に正当性を与え、またより多数のシリアやイラクの市民を殺すことにより、自分たちを攻撃するものたちに、正当性と動機を与え続けている。
 ほんとうに平和を望むなら、どうしたらいいのだろうか。

まず、欧米は、中東やアフリカで過去にやってきた数々の犯罪を公式に謝罪すること。まずこれはやらなければならないだろう。その上で、現在も続けている数々の犯罪行為(空爆や占領の後押しなど)を直ちに終わらせ、また政治、経済的な支配も含めて軌道修正していくこと、これらを真に実行できるならば、テロは間違いなく終わるだろう。
 しかし残念ながら、今の欧米の指導者たちにそのことは理解できないだろうし、そもそも現在の世界の政治、経済システムが、そういう友愛と平和を前提とした理念の上には成り立っていない。これこそが、最大の癌であり、大きな欠陥なのだ。

 世界を支配しているシステムが、友愛と平和、共生、持続可能な社会 ではなくて、力で他者を押さえつけ、利権と資源を収奪し、他の文化や歴史との共生というよりは、どちらが優れているとか、すぐに競争の原理で動く。人々の思考もそれに慣らされてしまっている。そういうことは、すべてイギリスはじめ欧州で起きた産業革命以降のことであり、ながい地球や人類の歴史からすると、たかだか200年に満たないその歴史の中で、世界の環境をおおきく損ない、多数の人々を殺害し、アフリカ、中東、アジア、ラテンアメリカなどから多くの資源を収奪し、文化や歴史を破壊し、なによりも人間に猜疑心を植え付けた。産業革命は、多くの場合、良い意味で取り上げられるようだが、私に言わせれば人類が終局へ向かう切っ掛けとなった、悲劇の始まりと言って過言ではないだろう。
 
 私たち、今の世界に生きる人間たちは、何よりも現行の世界の政治や経済の動き、それと連動したメディアの煽るような報道、少なからず偏向した伝え方に漫然と流されるのではなく、そういったことを受け流し、わずか100年、150年前にはまだ存在した、自然と共生し、人々は金銭や物欲とはほぼ無縁で、誰もが平穏ぬ暮らせた時代に少しでも回帰していこう。そういうことだけが、私たちがこれからさらに千年も生きていけるかの試金石となるだろう。
 また近世以降の、お互いの非を認め合い、謝罪し合い、許し合って、ともに共生していく未来。
そこにしか、希望はない。裏を返せば、これほど酷いと感じる世の中だけれど、希望はあるのだ。だからそれを信じて生きていくことが、世界を救うことになるだろう。
 そのためにどうしていくべきか。
実際に、そのために動いている人たちはすでに存在する。もう何十年も前からそういった活動をし、自分の生き方を変えている人たちだ。そういった人たちに学び、それぞれの人がそれぞれの手法で実践していくこと。それが大切だと思う。支配、被支配とか誰が先生で誰が生徒とかではない、私たちは自然から学ぶのだ。あるいは、実践者の生き方から学んでいくのだ。

世界で(そして日本でも)日々起きる悲劇を前にして、心を曇らせてばかりいても仕方がない。そんなことが少しでもなくなり、誰もが笑顔でいられる社会を一歩づつ作っていこう。
 
 私自身が、ながらくメディア、報道の世界にいたこともあり、現在の報道のあり方やとくにフォトジャーナリストたちの活動、考え方、また彼らに感化された受け手たち、それらに対しておおきな違和感を持っている。そういったことも、また近いうちに綴ってみたいと思っているが、それは気が向いたら。そういう活動をしている人たちが、自分で気がついて、そういうことを止めていく事が理想だけれど、ほとんどの人たちは、妙な使命感を持っているようなので、そういうことは起こりえないのかもしれない。

 いずれにしても、最近世界で起きていることで、一喜一憂しないでほしい。ただ、命を落とした人たちに哀悼の意を表し、その人たちのためにも、一人一人が意識して、世界を変えていくように気持ちを切り替えていくことだ。

宇宙からみた地球が、まだまだ美しいように、この世界はまだ終わっていないし、立て直せる。そう信じて、前へ!


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by shmurat | 2016-07-17 17:46 | 今の世界を考える | Comments(0)