世の中を変えるとはどういうことか

 前回は、革命ということについて少し思いを綴ってみた。
それは、自分がかつて抱いていた革命のイメージと、以来抱き続けている革命に対する思いなどであった。革命ということは、いつの世も、どんな民族、宗教、文化をもつ共同体であっても、必要な時はあるし、人間社会ではある意味必然ともいえる行為であると思う。
 しかし、革命ということばに対しても、いくつもの異なる考え方があると思うが、実際に革命を起こすとなると、そこにはまたいくつもの異なる考え方、実現にいたるまでの行動、どういった社会を希求し具現化していくのか、それについてもいくつもの異なるビジョンがあると思う。そういうことがあるから、多くの革命は、成就するまでに至らずに終わり、また成功したかにみえた革命も、早い段階でほころびが見え始めて、崩れ去っていく。私たちが、たとえばこの100年ほどの間に経験した、世界の革命(あるいはそれに匹敵する運動)の多くがそういう末路をたどり、また成功した上に理想社会を作り上げて続いている、などという革命はひとつもない。非常に残念なことではあるが、やはり理想と現実のギャップは大きいし、それ以上に結局のところ多数の人間は、私利私欲に勝てないということなのだろうか。
 この点からも、前回にも書いたチェという人物は、非常に希有な人間だったと、改めて思う。
サルトルが、チェは私たちの時代の最も完璧な人間だ、と言ったのは、まさにサルトルの知性を持ってして、そのように感じられたということであり、それはほんとうに秀でた人物だったことの証であろうと考えられる。
 
 さて、私たちが暮らすこの日本という国では、まもなく選挙、というものがある。これは、世界の「民主主義国家」を標榜する国々では、大抵行われていることであり、国民の政治に対する意思表示の一手段である。
 この選挙という政治への意思表示の手段は、民主主義が健全に機能し、国民が投票することによって意欲のある人物が選ばれて議員となり、その人に託した思いが、具体的な政策や社会への還元として返ってくることにより、生活が良くなったり、健全な社会生活が送られたり、正義が遂行される社会が実現する。こういったことが現実として起きうるシステムの中においては、まったく正しく、有益な手段であるといえる。
 さて、それでは現在の日本においての現実はどうであろうか。

残念ながら、選挙によって選ばれた政治家、それら政治家が属している政党、国家システム、政治家の裏で実務を担っている官僚・・・、誰一人緊張感を持って、命を賭けるくらいの気持ちで仕事をしているとは言えないのではないだろうか。異論反論があることは知った上で書いている。が、これが私が感じている素直な考えであり、今まで30年以上にわたって考え続けてきたことでもある。また、世界のさまざまな国々へ行き、それらの国で体験したこと、見たことなどと比較して、日本の現状を見た上での考えでもある。
 選挙に行かなければならない、行かなければ何も変わらない、行かない人間は民主主義の権利を放棄している云々、さまざまなことを言われる。では、行く人に聞きたいのだが、行くことによって何が変わるのだろう。何を変えられたのだろう。一つでも権利を行使して実現出来たことがあったのだろうか。その辺を聞いてみたいものである。もし、権利を行使するという義務を果たした、という満足感だけだとしたら、それは悲しいことではないか。
 
 前にも書いたが、今の日本では、ある候補者が「革命家」と一部では言われ、多くの若者たちや今の政府に危機感を持つ人たちに人気を博している。たしかにこの人物が言っていることを聞くと、もっともなことを言っている。私も彼と同じ考えだ。それはいい。しかしはっきり言うが、彼は言ったことの、ただ一つさえも実現できないだろう。現行のシステムのなかに入り、そのシステムに対立するようなことを言うことは可能だろう。それだけでもある意味勇気があると思う。しかし、もちろんそれを実現することは不可能だ。もしほんとうに実現したいのであれば、あくまでも在野でやること。声高に叫んだりするのではなく、静かにやり続けること。そうやって静かに変革を続けている人たちは、実は今の日本でも少なからずいる。私はそういう人たちこそが、真の革命家だと思う。
 声高に叫ぶ者が、人気を博すこともある。そういう人間が現行システムの中でも選挙に当選したり、政治家としてそれなりの立場に立つ人物も出てくるかもしれない。
 しかしひとつ言っておくが、歴史上最悪のファシズム、独裁政権というものもいくつもあったが、それらも大衆の圧倒的な支持、という形で権力を手にしていったのだ。そういう意味で、今の日本の政治のあり方は危険ではないか。どの政党も大衆迎合的な候補を選び、政策や政治家としての度量や信念など後回し、結果として今の日本という国がある。
今日のニュースを見ていて驚いたのは、都知事選挙の候補者になるかもしれない人間として、ある芸能人が出てきたこと。愚の骨頂もここに極まったかと、しばらく呆れてものも言えなかった。

 こういうお粗末な政治がまかり通っているのも、残念ながら多くの国民たちが何も考えていないからだろう。政治がどれだけ馬鹿げていても、メディアがどれほど存在価値がなくても、私たちは自分の頭で、目で、耳で、五感を使ってあらゆる情報を得て、自分の感覚を信じて生きていかねばならないのではないか。
 私が何を言おうとも、選挙に行く人は行くし、それぞれの思いもあるだろう。
でも、行くからには、私たちの社会を俯瞰して、大きな視野でものを見て欲しいと思う。自分たちの周りのことも大事だけれど、もっと大きな視点で、自分だけではなく、誰にとってもより良い社会を実現していくために、ほんとうに今一度しっかりと考えて欲しい。


 

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by shmurat | 2016-07-08 21:35 | 今の世界を考える | Comments(0)