遠い革命の記憶 

 革命のことに思いを巡らせている。

今現在の進行中の事態だとか、最近あった何かの動きに触発されたとか、そういうことではない。
たまたま、ル・クレジオの小説を読んでいて、ふと思いがある大きな変革への及び、そのことを考えているときに、さまざまな思いが浮かんできたのだ。
 
 革命といえば、まず思い至るのは、キューバの革命だという人も多いのではないか。私の中では、キューバ革命は人生を変えるほどの衝撃であった。1959年の革命をリアルには知らないのだが、物心ついた10代半ばのころに、ふとしたきっかけで手にした本「ゲバラの日記」で、その革命の歴史を知り、革命の息吹を感じ、社会を大きく変革していくということを、まるで自分がその現場にいたかのごとくに感じたのだ。キューバの首都ハバナに革命軍が入城してきたその場に、私自身がいたのではないかと思えるほど、キューバ革命に魅了されていたのだ。
 そして、キューバ革命といえば、チェ・ゲバラである。チェは、今ではまるでファッションアイコンのようになっている。チェの肖像はいたるところにプリントされ、そのワイルドでありながら知的、ハンサムで、いくぶん憂いを帯びた視線は、世界中の人々を虜にしたし、いまでも魅了し続けている。チェのような人物が、いつまでもその名を記憶され続けることは、素晴らしいことだとは思う。しかし、どれほどの人たちが、彼の本質に気がついているだろうか。たとえば、今50歳代から上の世代に人たちにとっては、彼はいうまでもなくキューバ革命の英雄であり、共産主義の英雄でもある。若い世代にとっては、なんだかわからないけど格好良いとか、あるいはファッションとしてシステムに逆らったり、ヒッピー的な人たちにも人気があるようだ。日本では、彼の自由気ままなスタイル、生き方が受けていたりもする。「モーターサイクルダイアリーズ」などが売れたのは、そんなところにも一因があるのかもしれない。
 ひとことで言えば、彼は革命家であり、なによりも高潔な人間だったと思う。その辺に気がついて言及した人は何人もいる。サルトルなどは有名だ。しかし多くの人たちは、彼がその他大勢の歴史上の革命家たちと違い、唯一無二の真の革命家だったことには気がついてはいなかったのではないか。
 革命というのは、人間社会に存在する既存の誤ったシステムを破壊することを希求し、それを行動に移し、実行する人たちだ。さらに言えば、革命が成就したあとも、理念と規範を維持し、常に高潔であり、人々の指針たり得る人のことであり、この条件に合致する人物は、人間の歴史のなかではほとんどいないだろう。
 そしてそれに合致する人間でまず思い浮かべるのは、チェだ。
チェは偉大な人であるが、それ以上に彼の生き方に私はかつて憧れ、それが私の生き方をも左右したことは間違いない。ただ、私は彼のような強運や高潔さを持ち合わせていなかった。生きた時代の流れや運勢というものが左右することも大きいと思う。
 
 私たちの時代には、他にも素晴らしい指針を示し、道半ばで斃れていった人は何人もいる。たとえば、コンゴのパトリス・ルムンバや、ブルキナのトーマス・サンカラのような人たちもそうだろう。
チェもそうだったが、本当のことを言う人(そして、その言説の影響力が大きい人)、実行する人というのは、利権を貪り、地位や名誉にしがみつき、他人の不幸を物ともしない連中に恨まれる。そういう中で、それら高潔な魂は、天に召されていった。
 しかし、彼らの名は多くの人々に記憶され、今でも彼らの規範を忘れずにいる人も多いし、これからもそれは記憶として語り継がれていくだろう。そしていつしか、再び立ち上がる人も出てくることだろう。

 革命のことを記憶の海から取り上げたのは、今の日本の状況の中で、ある人物のことを「革命家」として取り上げている記事を読んだからだが、その某人物と、チェたちとは、言うまでもないが比較するのも失礼なほど、そもそも比肩出来ないほどの差がある。それはあらゆる面で。というより、某人物は、パフォーマンスは多少秀でているが、それだけの人物だろう。
 もっとも、それは彼が悪いのではなく、彼を持て囃している周囲の人間たちの知的レベルの問題もあろうし、さまざまな下心も働いているのだろう。いずれにしても、美しくないことこの上ない。

革命、というのは、既存のシステムや既知のやり方で成し遂げられていくものではない。
現在の日本で起きていることは、予定調和の流れの中で繰り広げられている、お祭りに過ぎないし、お祭りだからこそ、多くの人たちがそれらしく振る舞い、盛り上がっているのだろう。
 本物は、受け入れられない。
あくまでお祭り、あくまでパロディなのだ。
本物が出て行ったら、場がシラケること、このうえない。
お祭り、成りきりで楽しむゲーム。

さて、そんな革命ごっこがこの先どうなるのか。

 そんなことに囚われている時間はないし、その結果は明白に見えているので、考えたり、そのことを追い続ける必要もない。
 踊らされるな、自らの生を生きよ。

さて、自分のやるべきことをやり続けること。そういうことが大切なのだ。今の世界の状態を見通して、意識して、生き方を見通していくこと。そして、静かに実践すること。
 そういうことを続けている「革命家」たちは、実は日本にもたくさんいるし、そんな人たちがいるから、私もまだ意欲を持てる。この国にも微かながら希望があると思える。

そういうことです。


7月2日 追記

ただ、間違いなく言えるのは、政治家や政治家を目指そうとしている輩のなかに、真に変革を成し遂げる者、さらに革命を成し遂げる者、など絶対にいないということ。そう思えない、あるいは私の書いていることに反感を持つあなた。それは、あなたの感覚が鈍っているか、このぬるま湯の日本での暮らしで手懐けられてしまったか、いずれにしても人の心配よりも、自分の心配をした方が良い。
 カリスマ性を持ち合わせ、人々に心地よい言説を操りながら登場してくる人間に気をつけること。これは、いつの時代、どこの国でも当てはまる。そして、今の日本には、こういったことに長けた紛い物が多すぎるのだ。

 神経を研ぎ澄ませ。


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by shmurat | 2016-06-30 08:35 | エッセイ 記憶を巡る旅 | Comments(0)