古本を巡ること

私は、中学生のころから毎日読書に熱中していた。当時は、推理小説やSF小説を耽読し、その後世界で起きていることに関心を持つようになってからは、ノンフィクションやジャーナリスティックなもの、伝記や文化、宗教など分野を広げ、本を読むことが好きなのは、今にいたるまで変わらない。
 ただ、仕事として世界を巡るようになってからは、一時的とはいえ本を読むことがあまりなくなった。さまざまな理由が考えられるが、ひとつにはなかなか集中できなくなっていたということが挙げられる。
 今仁なり、また時間があるようになり、また読んでいない本の多さに呆れ、より知りたいことが増え続けていることもあり、近年また読書量が増えている。そして、今では発行されていない、なかなか手に入らない本を求めて、古書店を巡ることも増えている。自分が読みたいということもあるが、人にも読んで貰いたいという思いもある。
 自分の場を持ったことがきっかけでもあるが、せっかくなので良書をより多くの人に知って貰い、買って貰いたいと思い、古書を販売することにもした。そういうことも相まって、時間があると良い本を求めて町を彷徨い歩いている。

 昨日は、某書店に良書がたくさんありそうだと感じ、行ってみることに。場所は池袋だったので、久しぶりにこの猥雑な町に降り立った。折からの選挙の季節でもあり、駅前にはぼう革新政党の立候補者の選挙演説待ちのマスコミたちがいたのだが、その候補者は、かつてよく知っていた人間だった。まだ彼が学生だったころ、世界情勢やジャーナリズムについて語り合い、いろいろと教えてきた若者だったが、それがいつしか政治家となり、今こうやって駅前で演説をしているのだった。
 彼は背が高かったので、遠目からもはっきりとその姿を捉えることができた。久しぶりに話してみようかと、一瞬考えたが、まわりに群がるマスコミの姿を見て、思いとどまった。
 今の彼は、顔だけ見ると、かつての若者とそれほど変わってはいないようにみえるが、それにしてもよりによって政治家を選ぶとは。なんだか、馬鹿にされたような気にもなる。パレスチナやアフリカ各地のことや、イスラームのこと、戦争の事等々、私が見てきたことや思うことを語ってきた記憶があるが、彼はいったい何を聞いていたのだろうか。それとも、何も聞いていなかったのか。
 おそらくは、自分の都合の良いように解釈していたのだろうか。最後に会ってからは、10年以上のブランクがあるが、その間に彼もいろいろなことに悩み、いろいろな現実を見て、考えた挙げ句の選択なのだろうか。
 いずれにしても、一番よくない選択をしてしまった彼。政治家となり、仮に当選したとして、何をやるつもりなのだろうか。何を変えていくつもりなのだろうか。そもそも、何かを変革することが出来ると考えているのだろうか。
彼が公認されて出馬している政党は、先月からのゴタゴタで空中分解した某政党から帳尻合わせのようにして出来てきた政党であり、やってきたことの実績もなければ、これから何をやっていくのかの展望も曖昧模糊としている、いわば典型的な現代日本を象徴するような政党である。
 翻って、良書というのは、もちろん人によってその定義は異なるのかもしれないが、私が思う良書とは、人間の生き様の本質を描いているもの(それが、ノンフィクションかフィクションかは関係なく)であり、作家自身が、人間の生きる意味や人間の生き方を定義してきた、歴史や文化、宗教などを深く掘り下げ、その中で生きることの意味、そこに生きる人たちの哀切、思いなどを丁寧に書き連ね、それが私たち読者の指針となるようなもの。そういう本を読むためには、お金を払うし、時間も割く。そしてそこからは、金や時間、社会的地位云々とは次元の違う、きわめて有用な気づきがあり、それは間違いなく読む人の人生に有益であるようなもの。そして、そういうものを求めて流離うことは、それ自体がまさに旅、冒険にもなぞらえられるほどに驚きと発見の連続でもある。
 私は、近年の人間社会のあり方、起きていること、人間たちの心理の変化などに幻滅以上のものを感じているのだが、それでも一筋の光明を感じずにはいられない。そのひとつの根拠は、これだけ多くの本が出版され、それがいまでも流通し、それらを読む人、読みたい人が、少なからず存在しているという事実。これだけでも、私たちの未来には、まだ希望があることの証だと思っている。
 
 素晴らしい本に出会い、それらを購入して足取りも軽く駅までの道を歩いていると、先ほどの選挙演説の場を通りかかった。演説を終えたであろう彼が、マスコミに囲まれているのが見えた。何を話しているのかはわからないが、その顔は明らかに高揚し、また確信を秘めたように見開いた目からは、彼本来が持っているはずの人間性は、垣間見ることもできなかった。党利党略に絡め取られた彼も、ある意味被害者だとは思うが、ある瞬間に冷静になり、自分のやっていることを客観的に見ることが出来る日がくるのだろうか。そうなったときに、もし機会があれば、彼とはまた話がしてみたいと思う。

 それにしても、政治家が声高に叫ぶスローガン、政策とやらの数々は、どれもこれもがまやかしであり、中身のない空虚なことの羅列にしか過ぎない。憲法が云々、消費税云々、北朝鮮の脅威云々、安保法制云々、どれもが極度に単純化され、耳に聞こえのいいことを抜粋しただけであり、それが実現出来るか、あるいはそのことに自分が真剣に取り組む意志があるのかどうか、は二の次なのだ。政治家がなによりも重んじているのは、自分が当選することであり、そのことによって得ることができる金、地位である。それが至上の目的であり、そのためには国民を騙すし、頭も下げる、心にもないことを叫ぶ。それが政治家なのだ。その観点からいえば、件の彼も極めてまっとうな政治家なのだろう。虚構、虚言のために全てを擲っているのだから。
政治家が嘘をつくのは、数千年来変わらぬ真理であり、また政治家たちが司る事々により、多くの人々が苦渋を舐め、あるいは命を落とし、生活を失っていくこともまた、自明の理である。
それに対して出来うるのは、私たちが政治家の虚言に絡め取られることなく、理性を保ち続けること。そして、それに基づいて生きていくこと。そういうことを実現する前提としても、良書を読むということは、極めて意味があると思う。

自分がやろうとしていることは、小さな活動であり、微少な抵抗とでもいえることかもしれないが、しかし同じようなことをやっている人、やろうとしている人、あるいは気がつき始めている人は、今の世界で少なからず出てきていると実感として感じている。
願わくば、ラウドスピーカーからがなり立てる虚言ではなくて、静かに自らの心と向き合ったときに聞こえる声に耳を傾けていたい。本質的なことは、選挙カーやマスコミの垂れ流す雑音の中にはないこと、それらをシャットアウトして、戯れ言の海に流されないように生きていくこと。そこからしか、未来は開けていかないと思う。そしてそのためにも、日々本を読んで欲しいと願う。

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Commented by noboru-xx at 2017-10-15 08:05
すべての政治かをひとくくりにする・・・そうした風潮が政治的無関心を生んでいるような気がします。
Commented by shmurat at 2017-10-15 20:59
難しい問題ですね。
それはともかくとして、私が伝えたかったことは、別のことでしたが。
by shmurat | 2017-10-11 10:45 | エッセイ 記憶を巡る旅 | Comments(2)