戦場で写真を撮るということ


戦争の写真を撮りたいと思ったのはいつだろうか。
また、何故撮りたいと思ったのだろうか。

戦場へ行き、目の前で起きていることを撮影し、それをメディアに発表して収入を得ていくこと。そして、それを生来の職業として生きていくこと。
 それは、ある意味私の理想的な生き方だった。それだけで生きていきたかったし、それだけで生きていけると考えていた。

戦場で生きていきたい。戦争に行き続けて、関わり続けて生きていきたい。
そう考え始めてから、もう30年以上が過ぎた。
そして、現実は、幾分形を変えて、今の私と共にある。
理想は理想でしかなかったともいえるが、だからといってまったく荒唐無稽な夢ではなかったともいえる。
さまざまな事情で、私は戦争の最前線には行かなくなったが、(行けなくなった、というほうがより正確だろうか)だからといって、関わりを止めたわけではない。
 また遠くない将来に、戦場へと足を運ぶことになるだろうが、それはかつて思い描いていた理想とは違い、より個人的なものになるだろう。そして、それは、終わりへの旅の始まりとなる。このように書くと、なにか物事の終わりへと旅立つようにも感じるかもしれない。少し書き足すと、それは永遠への旅の始まりであり、そのために私は再び戦場へと行かねばならないのだ。

先日、The evolution of war photography という記事を読んだ。
最近何かと揺れているカタールのニュースエージエンシーであるアルジャジーラに載っていた記事だ。
そこには、70年代から続いたレバノン内戦を例に、レバノンに縁のあるフォトグラファーたちの経験と回想、メッセージが載っている。それぞれのフォトグラファーが、それぞれの思いを胸に抱いて、レバノンのフロントラインで撮影していた。
70年代から80年代の中頃までのレバノンは、多くのフォトグラファーにとって、夢のような現場だったし、それは間違いなくある一部のフォトグラファーにとっては、中毒のような興奮をもたらし、蟻地獄に落ち込むようにそこから抜けられなくなるような体験だったはずだ。記事の中で取りあげられているパトリック・バスはまさにそのような類いの人間だったようだが、この感覚は私自身にもそのまま当てはまる。
 私は、現代の戦争報道のフォトグラファーの系譜のなかでは、少し遅れてきた世代でもある。ヴェトナム戦争に行けず、レバノン内戦がもっとも激しく甘美だった頃(こんな表現をすることを怪訝に思う人もいるかもしれないが、その意味合いは想像してほしい)に、テレビや雑誌のレポートを見て、悔しさを噛みしめていた若者だった。
 ただ一方、私自身の思いの原点は、写真とかそれで食っていくということにはなかった。これは、他の多くの戦場で会ったフォトグラファーたちとも違う点だが、私はイスラームが再興していくなかで(それは、1979年のイラン革命やサウディアラビアでのジハード主義運動の高まり、ヒズボッラーの発足とも関係している)その思想、パワーの源泉、彼らの生き様に憧れた。
そのために現地に行こうとしたのが発端。だから、戦場で写真を撮りたいという動機は、目的を達するための手段だったともいえるし、少しの逸脱だったともいえる。手段だったというのは、当事者として渦中で命を賭けている人たちに会い、彼らの戦いを間近で見続けるための手段ということでもあるし、逸脱というのは、自分は当事者ではなく、とうてい彼らのように命を賭けて、彼らの戦いに身を投じることは出来ない、でも何かしたいという思いだったともいえる。
 
 1990年から戦場へと行き始めた私は、数々の最前線に行き続けた。20年ほどの間に、どれほどの前線でどれほどの「死」を見続けてきたのだろう。数え切れないほどの死と悲しみ、破壊と怒りの場に立ち、それらを撮影してきた。そして、戦場へと行くきっかけだった人々と会い、話し、彼らと共に過ごした時間は、貴重な体験だったし、消えない記憶となって残っている。
 ただ戦場に行き続けている間に、数々のネガティブな側面も多く経験し、それらが結局私の意欲を奪い続け、ある時点で私は戦場に行き続けることが出来なくなってしまった。それはイコール、収入を得ていく道を閉ざされることにもなったが(このへんは、私があまりにも理想主義者だったということだろうか)、それでも自らを偽ることは出来なかった。
 何よりも私が嫌だったのが、他のフォトグラファーたちの行状の酷さだ。全員ではない、多くの、と言い換えた方がいいだろう。しかし、明らかに、自分がいる場所の歴史や文化、慣習への尊重やもっと本質的な人間としての善悪の判断も含めて、そういったことが出来ていない人間が多すぎた。今では確信しているが、フォトグラファーの多くは(戦場ジャーナリストたち、いや、戦場に関わる人間たちの多く)、社会の中でまともに生きていけないような類いの、道徳的規範さえも持ち合わせていない人間たちの集まりだったということだ。考えていることは、スクープをいかにモノにするか、いかに金を稼ぐか、そればかりだ。私は、純粋過ぎたのかもしれないが、金のことをまったく考えていなかった。これに関しては、ある意味素直に反省したほうがいいのかもしれない。しかし、想像を絶するような悲劇が起きているところに、金銭欲や名声欲に目が眩んだ愚か者たちが押し寄せてくるとは、これはもう悪夢以外のなにものでもない。そして、自分がそれら愚か者たちと同じ仕事をしていることを、明確に感じたときに、私は撮影が出来なくなってしまった。
 これは現場にいるフォトグラファーだけではない。編集者たちやエージェントたち、この業界に関わる多くの人間たちのさまざまな柵、思惑、意図、それらを感じたときに、激しい怒りが沸き、また自分独自のことをやり、続けていきたいと思った。
いずれにしても、戦場に関わってきた生き方に後悔はない。そこで貴重な体験をしてきたことは間違いないし、そこで見聞したことを、私はどのような形であれ、伝えていかなければならないと考えている。
それが、私を受け入れてくれた人たち、(いまではその多くが生きていないが)その人たちへの償いだと思うから。

 戦争写真はどのように変化しているのだろうか。あるいは、フォトグラファーたちはどのように変化しているのだろうか。
基本的には、何も変わっていないだろう。2000年代初め頃までは、フィルムで撮影することが主流だったが、現在では誰もがデジタルで撮影している。このことによって、変わったことはいくつもあるが、私が思うには、より商業主義的な面が目立っているような気がする。また、現場で写真を加工出来てしまうことが、またさまざまな弊害をも生み出しているような気もする。コントラストを変えるとか、写真をトリミングするとかはまだいいほうで、明らかな捏造も増えているし、それに対するこの業界の対応も後手後手に回っているとしか思えない。
 機器の進歩によって、リアルタイムで戦争を見ることが出来るようになってきた。そして、そのことがさらにさまざまな弊害をもたらしたり、それらセンセーショナルなイメージが、見る人々のメンタルに与える影響などを考えると、もはや想像すら出来ないような事態になりつつある気がする。
 ただいえるのは、テクニカルな部分の進歩が、明らかに人間の感覚を鈍らせている。私たちが起きていることの真の意味を知る、推し量ることが、より困難になりつつあり、それがまた戦争が起きていることの理由や、戦争を終わらせることの遅延にも繋がっているのではないか。
 戦争報道(戦争写真)の意義を、真実を伝えて戦争を止めること、と言い切る人たちは今でも存在する。本気でそう思っているのだとしたら、何もわかっていないということになるし、もし自分たちの行為を正当化するための詭弁であるのなら、それは悪質であり、それこそが人道に対する罪であるともいえるだろう。
 いずれにしても、以下にリンクを貼った記事もぜひ読んで欲しいが、このような記事を読んで考えて欲しいのは、写真とかジャーナリズムのことではない。なによりも、戦場のこと。その地の歴史や文化、風景、そこで起きている何気ない日常のこと、なによりもそこに生きる人たちに、思いを馳せて欲しい。
 そして、そういうことが、いつか戦争を止めるきっかけになると、私は思う。






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by shmurat | 2017-08-22 13:34 | 写真で伝える、ということ | Comments(0)