ディストピアの気配

 バルセローナは、私にとっても思い出深い地である。
20代前半の頃、バックパックを背負って貧乏旅行で欧州を旅したが、そのときに特に気に入った場所の一つがバルセローナだった。もとよりスペイン語も話せない私が、若さと好奇心だけで旅をしていたのだが、スペインは特に行ってみたい国のひとつだった。それは、太陽の燃えるようなイマージュであり、ダリやガウディの奔放な芸術の世界であり、人々が明るくのんきに暮らしている印象だった。もっともスペインが明るい人々の気楽な暮らしの国だというのは、まったく今でいうところのメディアから受けた印象であり、実際には必ずしもそうではないということは、現地にいてもよくわかったし、またその後の人生でも知るところが多かった。しかし、スペインのエキゾチックなイマージュは、今でも私の脳裏に染みついていて、スペインなら永住してもいいとさえ、まだ思っているほどだ。
 そんなバルセローナで、悲しいことが起きた。
バルセローナのランブラス通りを散策していた人々。夕方でもあり、また観光客が多いエリアでもあり、誰もが楽しげに語らい合っていたことだろう。その日の旅のこと、これからの夕食のこと、明日のプラン、夏休みが終わってからのこと、これからの人生のこと、もっと些末な生活の諸々・・・。人々は、それぞれの暮らしを生きていた。そして、そのことには優劣などない。人種や原語、ましてや信仰の違いなど由ないことであり、誰もが人間として生きていたし、そのひとときは尊いものであった。
 一方、そんな人々のそぞろ歩きの中へ突っ込んでいった若者たち。彼らは何をしていたのか。どんな思いを抱いていたのか。なぜそんなことをしたのか?これに関しては、私自身は非常によくわかる。彼らのように、殺戮を実行しないとしても、同じような思いを抱くことは、少なからずの若者たちに起こることでもある。多くの日本人たちも、冷静に考えると理解できるところがあるのではないか。彼らの行為を肯定したり、賛成するということではない。ただ、さまざまなことへの怒りや破壊衝動というのは、誰もが一度は抱いたことがあるはずだということだ。今回の事件を起こした若者たちと、私たちの違いはなにか。最後の瞬間に止めることができたか、出来なかったか。その違いが一番大きい。そして、それは非常に大切なことだと思う。
 そこが、人間となにか人間とは違う思考世界へと一瞬でも足を踏み入れてしまったか、その前に思いとどまったかの違いでもあるだろう。
 「全ての不信心者たちを殺せ」との扇動に乗り、感化され、あるいは洗脳に近いものがあったのかもしれない。
今回は、(そして最近では)ムスリムの青年たちが起こしたことではあるが、それがイスラームとかイスラームの教えとは何ら直接的な関係もないにもかかわらず、あたかも数々のテロがイスラームの教義に基づいているかのごとき報道や解釈をされていることは、極めて残念だ。
 このようなことは、かつてはキリスト教世界でも数多く起きていたし、イスラエル建国前のイギリス委任統治時代のパレスチナでも、数々のユダヤ人のテロが起きている。そして、今ムスリム青年たちが起こすことには、もちろん理由がある。それは、たとえばこの20年来の中東での事態を受けてのことであり、今のシリアやイラク、パレスチナで起きていることの結果である。つまり、ムスリムだからとか、イスラーム云々ではなく、人間として非常な怒りや憤りを抱いた青年たち(年代にかかわらず全ての当事者たち)が、それがイスラームの道であり、神の祝福を受けているかの如き扇動に感化されてテロを起こしていると考えることが、もっとも真実に近いのではないだろうか。
 
 このような出来事がいつまでも続くことは、多くの人々にとっては悲劇である。もちろん、これらのことによって、利益を得ている人間や組織が存在するが、そういう連中のことを私は論ずるつもりはない。
願わくば、私たちが、そして中東での悲劇に直接・間接に関係のある人たちが、冷静に考え、前向きに活動していくことを願う。誰かを不幸にするようなこと、誰かを殺すようなことを扇動するような教え、メッセージは、絶対に間違っている。そこが判断できないほどに感情が高ぶっているのかもしれないが、今一度冷静になって考えるべきだろう。
 なによりも、殺人、窃盗、姦淫など、明らかに神に禁止されていることだということを、思い出して欲しい。それらを凌駕する非常時はある。あるが、その場合のターゲットは、絶対に今回のような市民たちではない。パリやロンドンでもそうだったが、神は無辜の市民たちを手にかけるようなことを容認しない。彼らが怒りの矛先を、たとえば軍や警察などに向けるのであれば、それは必ずしも間違いではないと思う。いずれにしても、冷静さは大切だし、さらにいえば知識、そして理解する力の問題でもある。思考力が落ちている時(あるいは思考力の弱い人間)が狙われる。扇動者はそういう人間を探している。だから、そういう連中に引っかからないように、扇動されないようにして欲しい。

ところで、私は現在ある本を読んでいる。
マーガレット・アトウッドの侍女の物語(The Handmaid's Tale)である。
これは、1985年に書かれた有名なディストピア小説だが、偶然欧州でテレビドラマ化されて人気になっていることを知り、読んでいる次第だ。
 読んだ人もいるだろう。もし読んでいなければ、ぜひ読んで欲しい。というよりも、必読の書だろう。完全なフィクションであるはずなのだが、内容があまりにも現在の社会、世界と重なる部分があり、まさに戦慄すること受け合いだ。また、こういうのを読んでいると、今回のテロはじめ、現在の世界で起きていることの裏側を、どうしても考えてしまう。
 杞憂であればいいのだが、なにか仕組まれた部分があると感じざるを得ないのだ。何から何までもが陰謀だとは思わないが、道理では説明できないことや、あきらかに不合理なことも起きている以上、ますます私たちが理性を保ち、扇動やマスメディアの報道に気をつけていくことが必要なのだと思う。
 近年の世界で起きているさまざまなディストピア的事象は、残念ながらしばらくは終わる気配はない。それは、いままで起きていない国や地域でも起きてくるだろうし、より多くの人たちが命を落としていくのだろう。そんななかだからこそ、より意識を鋭敏にして、日々の暮らしの中にも適度な緊張感をもって臨むことが必要なのだ。


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by shmurat | 2017-08-18 21:59 | 今の世界を考える | Comments(0)