ある編集者への追悼

 数日前に、長い間お世話になっていた雑誌の編集者のひとりから、電話をもらった。
その雑誌の編集長を長く務めた人とは、かれこれ20年以上の付き合いだった。
彼は、この数年体調を崩されていた上に、もう高齢でもあった。
また、昨年来体調が良くないことも知っていたので、電話をもらったときには、ある種の予感はあった。

案の定、お世話になっていたTさんの訃報だった。
7月上旬にお亡くなりになっていたとのこと。
ご本人の遺志もあり、近親者のみで葬儀を済ませ、ほとんど誰にも亡くなられたことも報せていないとのことだった。
そういう日が遠からず来るとは知ってはいたが、それでもまだ何年かは大丈夫だろうと思っていた。そして、まだ何度かは一緒に仕事もするのだろうと、漠然と思っていたのだが、そんな思いは儚くも叶わなかった。

電話の向こうのIさんは、
「Tも村田さんの作品が大好きで、いつも楽しみにしていました。ほとんどの方には連絡もしていないのですが、ようやく落ち着いたところでして、村田さんにはぜひ連絡せねばと思い、電話させていただきました」
 と淡々と語っていた。

思えば、私がフォトジャーナリストとして独り立ちした直後からの知己の編集者であり、写真を静かに一点一点しっかりと見てくれ、また、写真に込められたこちらの思いをしっかりと聞いてくれ、時おり静かに質問をしたり、あるいは適格なアドバイスを投げかけてくれる、そんな方だった。
 大変お世話になりながら、私の方が10年以上不義理をしてしまい、その後またふとしかきっかけで再訪したときにも、
「待っていましたよ」
と、静かに笑顔で話してくれた人だった。私のほうは、申し訳なくて頭を下げ続けていたのだが、また来てくれて、とても嬉しいです。と、言ってもらえたことが、昨日のように思い出される。
その後、昨年まで、何度かグラビアを組んでくださり、それらは私にとっても記憶に残る良い仕事だったと思っている。それもこれも、こちらの思いをしっかりと聞いてくださり、意図を酌んでくださった、Tさんの編集者としての矜持でもあり、長年の経験や勘とそれ以上に編集者とはかくあるべきという、信念のようなものがあったのだと思う。

「Tは、編集者は黒子に徹するものなのだからと常日頃言っていましたから」
Iさんは、そう語り、今後も大々的なアナウンスはしない予定だという。ただ、もう少ししてから、関わりのあった少数の関係者のみで、偲ぶ会を開きたいとのことだった。
Tさんらしいと思う。
彼は、最期までその信念を貫いたのだなあと、悲しさを感じながらも、彼の人柄を思い、懐かしさを押さえることが出来ない。
 思えばこの30年近くの間、世界各地に足を運び、さまざまな地で幾多の経験をし、撮影し、多くのメディアで発表してきた。そのなかで、数多くの編集者と接してきたが、今にいたるまでに多少なりとも付き合いのある人など、片手にも余るほどしかいない。そんななかでは、Tさんは格別で特別な人だった
。グラフジャーナリズムの黄金期を経て、いつまでも初志を失わず、編集者のなんたるかを知り、また自ら実践されていた方だったのだろうと思う。
 もはや、彼のような編集者など、今の出版界にはほぼいない。寂しい世の中になったものである。

世の中には、編集者が、書き手や写真家以上に目立っている例も少なからずある。また、自己主張の強い人物には、それなりにファン、信奉者もいて、ますます勘違いしていくものだが、Tさんはほんとうに静謐で、思慮深い人だった。

連日の酷暑の中で、私は彼のことを改めて記憶の中から掘り起こし、彼とともに世に出させていただいた仕事に思いを馳せている。
また、彼が見ていてくれるかと思えば、まだもう少し頑張らねばなあと思う。
私の意図することは、多くの人には伝わらなかったし、賛同も得られなかったが、彼はそういう意味では異例であり、異端だったのかもしれない。
 でも、一人でも、私が伝えたいことを酌み取ってくれた人がいたことが、私には無常の喜びであるし、また私が伝えたかった、世界の人々のことも、命ある限り改めて伝えていかねばならないと思っている。
わたし自身が、この10年ほどの間にも、紆余曲折の道を歩み続けてきたが、もうそんなことをやっている時間もないだろうと思う。
 彼の訃報は、私にとっては悲しいことはもちろんだが、それ以上にこれからのことに対するモチベーションとなり、パッションとなっていくだろう。
 これからも、彼が静かに、そして笑顔で見ていてくれることだろう。

Tさん、ほんとうにありがとうございました。
そして、長い間、お疲れ様でした。
今はただ、安らかに御休みください。





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by shmurat | 2017-07-31 18:37 | 日々徒然の記 | Comments(0)