カルバラの熱狂

イラクでは、ダーイシュ(IS)を殲滅させる戦いが、いよいよ佳境に入っている。
モスルのほぼ全域を掌握したイラク軍、イスラーム・シーア派民兵たちは、
ダーイシュの抵抗に遭いながらも、少しずつ前進しており、
モスル掌握も時間の問題だろう。

わたしの意識は、いつでもイラクへと舞い戻る。
わたしの人生のなかで、
イラクで過ごした時間は、なにものにも代えがたい記憶。
あの地に短い間ではあったが、いることが出来たこと。
そのことを、神に感謝している。
そして、近い将来に、再びあの聖なる地に自らの足で立つことを
日々祈っている。

イラクでの日々は、それほどに特別だった。
それは、取材だとか、良い写真が撮れたとか、そんな次元のことではなく、
自身の精神に与えられた影響は、とても表現できないほどのものであり、
その衝撃は、わたしの価値観を根底から変えてしまったのだ。

イラクという地は、全土が歴史と文化、そして神の息吹に包まれた地であるが、
わたしにとっては、何よりも心に焼き付いているのは、カルバラである。
かつて預言者ムハンマド(S.A.S)の孫であるイマーム・フサインが、
イスラームの敵であるウマイヤ朝カリフのヤズィードの軍勢に敗れ、殉教したのが
カルバラの地である。
 フサインの死は、今に至るまでシーア派の哀しみを誘い、
その命日アシューラーには、盛大な祭礼が執り行われる。
わたしは、幸運にもイラクでアシューラーに立ち会うことが出来た。
また、カルバラのイマーム・フサイン廟で、世界からの巡礼者たちに会い、
彼らが行うラットゥムをみることが出来た。
ラットゥムというのは、イマーム・フサインの痛みを追体験し、
その死を悼む、シーア派独特の行事であるが、その熱気を目の前にして、
わたしは、ただ立ち尽くすしかなかった。
おりからの、強烈な太陽の光の熱気と、周囲の人々の身体から立ち上る熱狂に包まれ、
目の前には見渡す限りの砂漠が現出し、イマーム・フサインの姿が蜃気楼のように
立ち現れた。

イラクでは、今でも多くの人たちが苦難の中にある。
そして、米軍などの侵略軍の存在もある。
苦悩がいつ終わるのか、その見通しさえたたないのであるが、
この苦難の中で、人々はイマーム・フサインの苦難に自身を重ねるのだ。
フサインが殉教したのは遙かな記憶の昔であるが、
絶望的な苦難に進んで立ち向かっていった彼の勇気と信仰は、
シーア派の人たちの生き抜く勇気となり、今でも色褪せることない。

わたし自身も、人生の大きな変革の時が続いているが、
イマーム・フサインの思いを感じながら、決して諦めずに挑戦する意識を持ち続けたい。

イラクの夏は酷暑である。イマーム・フサインが戦った時も、変わらず酷暑だったことだろう。
その地でイマームの息吹を感じることが出来たのは、
まことに希有な体験だったとしかいえないし、
それを体験させてくれたイラクの人々、そしてイラクの地に、わたしは感謝している。
かつて、偉大な文明が、芳醇な文化が花開いた地に、
再び大いなる平和が戻ってくることを節に祈っている。

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by shmurat | 2017-06-22 20:46 | エッセイ 記憶を巡る旅 | Comments(0)