人間関係について 人生のこと

 誰にも家族があり、友人がいて、また仕事仲間というのもいることだろう。
さまざまな場で出会って友人になることもあるだろうし、それが短い付き合いだったり、長い付き合いになったりもする。
また、家族や親族であっても、ほとんど付き合いのないこともあるだろうし、ほんとうに親密な関係が生涯続くこともある。
これは、人それぞれでもあり、一概にはいえないことだが、ただ言えることは、人間同士の関係性が、人の一生を左右することは間違いないことだと思う。
ある人と出会ったことによって、その人の人生が素晴らしいものになることもあるだろうし、ある人物と出会ったことによって、その人の人生が奈落の底に突き落とされることもある。
 人間として生まれてきた以上、他の人と出会うことは避けられない。また、誰とも出会わず、関係性ももたずに生きていくことも出来ない。
これは私たちが社会で生きていく上での性であり、好むとか好まないとかにかかわらず、死ぬまでついて回る難しい問題でもある。

私自身も、いままでの人生で多くの人に会ってきた。
さまざまな人がいたし、その影響で、さまざまな経験をし、またさまざまな地へと行くことにもなった。
しかし今、人生も後半になっているが、改めて考えてみると、ほんとうの意味で有益だった人との関係性、真の意味で友人と呼べる人と出会っているかなどと振り返ってみると、残念ながら私の場合は、そういった関係性がほとんどなかった、というのが正直なところだ。

 私自身の人間性にも関係しているのだと思うが、たんに仕事だけの付き合いだったり、都合の良い関係性だったりということが少なくない。
また、自身がさまざまな局面で人を助けたり、助言したり、サポートしてきたことも少なくないが、そういった人たちは、今でも良い仕事をしていたり、良い地位に就いていたりする人も多く、人に良いことをしてあげることが出来た、という満足感がある反面、それらの人は私に何を与えてくれたのか、などと考えてしまう。
私が仕事などさまざまに悩み、うまくいっていない状況にあるときに、その人たちはどう対応していただろうか。
答は明白だ。
私から遠ざかっていった。
別に構わないと思うし、その人のことを常日頃意識しているわけではないのだが、何かのときにふとその人たちのことを聞いたり、見たりして、なぜ連絡をくれないのかな、とか思ってしまう。
 まあ、私の人間の小ささなのかもしれない。あるいは、自分が思うに任せないから、そういうことが気になってしまうのかもしれない。
また、私が彼らにやってきたことは、ある意味お節介だったのかもしれない。
結局は他人だし、ある意味その人がどうなろうとも、関係ないとも言えるのだから。

それにしても、金の切れ目が縁の切れ目、とはよく言ったものだ。金に限らず、この人と関係性を維持していても、何のメリットもないとなれば、人は離れていく。
それまで散々利用し、あるいはこちらからむしり取っていったことなど考えることもないのか、あるいは得した、ラッキーだったと考えているのか。

今回書いたことは、普段まったく意識していないのだが、年に数回そういうことを考えることがあり、一度書いておこうと思っていた。
これは、自分に対する戒めでもある。つまり、今の自分の状況がいろんな意味で厳しいということがあるのだが、だからといって私は社会的、道徳的に悪いことはしない。それは、私の理性がしっかりと維持されているからでもある。
また、私がいままでやってきたことは、利益とか名声の為ではなくて、自身の人間性の深奥から出てきたものであり、利益や名声のためにやっている他の多くの人とは根本的に違う。
長らく、報道やジャーナリズムに関わってきて、仕事以上に他人の生とか正義とかに思いを馳せて、感覚的に正しいことをしよう、というモチベーションで動いている人がいかに少ないことか。ということを、実感として感じてきた。そういうことが、メディアの世界や写真ジャーナリズムの世界に嫌悪を憶える理由の一つでもある。これは、たとえば物書きの世界でも、他のどんな世界でも変わらないのかもしれないが。
 
 ここまで書いてきて、ふと思い出したが、今の自分の状況があるのも、もしかしたら試練でもある一方、物事を静かに、深く考えて、より良い生を生きていくための時間を与えて貰っているのかもしれないと感じる。
 確かに仕事もない、多くの人たちに忘れられ、また仕事もない、世間的にみたら、哀しい状態にあるのだが、一方自分の心の片隅には、大きな充足感もある。
慌ただしく動き回り、対人関係に意識を取られていたころにはあり得なかったことだが、自分と向き合い、また世の中で起きていることを見据えて、深く思索する時間がある。これは、ある意味非常に大切なことではないかと思えてきているのだ。
 
 時間が流れ去っていくのが早いと感じるようになってきた。
様々なことが毎日起き、情報は海流をもまれ流れていくゴミのようにあたりに溢れかえっているが、それらのうちふと延ばした手に引っかかって、いつまでも残ることはなんと少ないことか。

今となっては、過去をいつまでも引き摺っていても意味がない。過去から得るものや、過去から参照するべきこともあるが、それは必要なときにそっとふたを開けて、それを取り出せば良いことなのだ。そして、そんなことをする機会が少なければ少ないほど良い。

 私と過去に友人関係にあった人たち、連日のように会い、共に仕事をしてきた人たち。彼らが今何を考えて、何をやっているのかは知らないが、この先も彼らに幸運が続いていくことを願ってやまない。

さて、私は自身の生を全うしなければならない。それは自分の為でもあるが、より本質的なことでいえば、それは自分を生かしてくれている力のため、そしてこんな状態でも、自分のことを気遣ってくれる数少ない人の為でもある。

 日々流れていく情報のなかにも、私の心を痛めるものがいくつかある。
それらは、これからも私が関わり続け、また私の生と密接に関連していることでもあり、だからこそ心に針が刺さったかのごとくに痛みを感じている。
そういうことに対しても、これからどう関係性を持って行くかを考えねばならない。また、人生の終わりに向けて、どう生きていくのか、その辺まで考えて歩んでいかねばならない。過ぎ去った泡沫にいつまでも意識を与されている時間はないのだ。

幸いにも、今自分にはやらなければならないこと、やり遂げたいことがいくつもある。それらの為に神経を集中し、動いてく。
そして、結果は必ずついてくると、今確かな感触を得つつある。

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Commented by ゆうやぎ at 2017-08-02 00:39 x
はじめまして。

"出来なかったこと""ついて回る"で検索したらヒットしたことでブログを拝見させて頂きました。

Shmuratさんと私の
年齢や経験、周りの環境、今起きていることは全く違うかもしれないけれど

全てにおいての人間関係で思うこと、人として生まれてきた試練への考え方、思いがすごく共感したので思わずコメントしてしまいました。

ただ…今の私はShmuratさんのようにまだ先の事を見出だせず、次のステップへ行かなければならないかと

でも、見出だせず…留まりたい気持ちとこのままじゃいけないという気持ちの葛藤です。

ただ…どんな状況でいても
やはり人は人との関わり方で成長できるかもしれないと改めて再認識しました。

今は
自分の傷口を裂くような心境ですが、
目を背けずプラスの方向へと向かえるようにまた努力をしてみようと思います。

ありがとうございました。
Commented by shmurat at 2017-08-03 08:58
ゆうやぎ さん、はじめまして。
コメントいただき、ありがとうございました。
共感していただけとても嬉しいですし、またわたし自身もさらに前に進んでいかねばと、改めて思いました。
この記事を書いてから、半年近く経ちますが、遅々たる歩みです。いずれにしましても、ゆうやぎ さんのおかげで、自らの半年前の思いを、再読する事が出来、今を客観的に見ることができました。
生きていくということは苦難の連続ですが、それでもわたしたちは生きねばならず、そのためにもこれからを信じていきたいですね。
by shmurat | 2017-02-23 12:02 | 日々徒然の記 | Comments(2)