過去を直視すること フランスの事例から

 人間は、なかなか過去を直視して認め、場合によっては非を認める、謝罪する、ということができないものである。
個人レベルでもそうなのだから、国家ともなると、たとえ非があってもそれを認めることは、簡単ではない。当事国同士のやりとりが長く続き、双方の国民や国際機関、はてはその問題に関心がある人たちをも巻き込み、延々と続いていく。
 この問題では、日本の場合は戦時中の大陸での問題をいまでも引き摺っているから、その解決の困難さは、決して対岸の火事ではなくて、私たちが自分の問題として捉えなければならないことでもある。
 
 私が長く中東世界やイスラーム世界に関心を持ち、また関わってきた中で、一つの大きなテーマとして、アルジェリア問題があった。
1830年にアルジェリアに上陸したフランス軍は、太守フサイン・イブン・パシャを降伏させ、事実上のアルジェリア支配が始まった。その後、幾多の抵抗を鎮圧して支配を強めていったが、1962年まで、フランス領アルジェリアが続いた。
 1954年からは、アルジェリア戦争となり、フランス支配に抗するアルジェリア人たちとの激しい戦争となった。この間フランス側により、数百万のアルジェリア人たちが殺され、国土は破壊され、文化も深く浸食されていった。アルジェリアが払った犠牲はあまりにも大きく、現在にいたるまでアルジェリアはその痛手から完全には立ち直っていない。また、植民政策下でフランスが行った数々の非人道行為も、フランス側は今に至るまで謝罪や補償もしていない。長い間、アルジェリア戦争という呼称さえ、フランスでは使われず、アルジェリア事変と呼ばれていた。戦争として公式に人展されたのは、1999年になってからである。
 この植民支配、戦争はあまりにも複雑な経緯をたどり、また単にフランスとの戦争に留まらず、現地の多様な勢力の支配権争いや民族紛争の様相さえ呈していたが、いずれにしてもフランスの支配が元凶であった事実に変わりはなく、このことで今でもフランスとアルジェリアの間にはわだかまりがある。フランスに多数住んでいるアルジェリア系の人々に対するフランス人の差別問題も根強く、これらのことと近年フランスで起きている、いわゆるテロとは関係がないとはいえない。
 このような中で、アルジェリアを訪問したフランス大統領候補が、明確にフランスの行為を「人道に対する罪」と認めたことは大きな進展だが、残念ながら、フランス国内では彼の発言がマイナスに捉えられ、大きな論争を呼んでいるという。
 私たち日本人には、このことに関心を持つ人は少ないようだが、これに関しては、邦訳でも何冊もの本が出ている。フランツ・ファノンやアリステア・ホーンの著作も有名だが、私個人的にはアシア・ジェバールの「愛・ファンタジア」や「墓のない女」を是非薦めたい。アルジェリア人の視点、とくに女性たちの視点からフランス統治時代や戦争の最中のことが描かれていて、フランス軍がアルジェリア人に対して行った数々の蛮行も、静謐なタッチで描かれている。
 私たちは、どこの民族も、どの国も、過去数百年遡るとこのような歴史を持っている。
大事なことは、自分の行為を正当化することではない。どちらが勝ったか、負けたかを明らかにすることでもない。
起きたことを、客観的に見直すこと。また、勝者の歴史をことさら取りあげたり、政治的、軍事的な偏りで物事を見るのではなく、あくまでも一般の人々、名もなき市民たちの目線で捉えること。多くの発言する機会ももたずに、幸せな生を希求しながら、戦乱の中に斃れていった人たちの息吹を、できる限り感じ取ること。そういうことから、ほんとうの歴史を知ることが出来ると思うのだ。
 日本と中国や韓国、あるいは東南アジアの国々との間に起きたこともそうだが、どちらが良いとか悪いとか、あるいは互いに非難合戦をするのではなく、当時の時代の息吹をできる限り克明に掘り起こし、当時生きていた人たちの声に耳を傾けること。もちろん、そういうことは可能なこと、不可能なこともあるけれど、少なくともそういう意志を持ち続けること、さまざまな立場の人たちの声に耳を傾けて、吸収していくこと。そういうことが大切なのだと思う。
 何かを解決するとか、賠償を払っておしまいとか、そういうことではない。
過去にあったことを認識した上で、私たちは互いを尊重し、手を取り合い、互いを認め合って生きていかねばならない。
そうすることによってしか、私たち全てにとっての、明るい未来への展望は開けてこない。

 残念ながら、現在の世界を俯瞰するときに、そういう私の思いとは逆行しているようにみえる。米国の新しい政権のスタンスもそうだが、欧州やアジアの国々、そして日本でも、他と自分たちを区別し、自分たちの優位性をことさら強調し、また不測の事態に備えるために、軍備拡張は必須だとの論調が強まっている。
 こんな時だからこそ、先のフランス大統領候補の発言は重いと思うし(もちろん、政治家である以上、何らかの思惑はあるだろうが)、真に世界が平和へと向かうには、たとえ政治的な意図があろうとも、協調と融和へと進んでいくしかないと信じる。
 現在の日本の政府、あるいは野党も含んだ政治家たちには、今の時代の本質を捉える視点が欠けているし、彼らはもっと大きな意味で日本人だけではなく、全ての人たちを幸せにして、この地球環境をも守っていくという、おおきな大義が欠けている。誰もが、目先の些末なことに囚われているうえに、利権や名声欲に塗れ、まともな政治が出来なくなっている。
 こんなときには、私たち一人一人が、自分たちで道を切り開いていく気概が求められているといえよう。なんとなく時勢に流されたり、メディアが垂れ流すニュースに惑わされるのではなく、自分で情報をとっていき、自分で考えて行動していくことが生き残っている唯一の手段でもある。
 311以降、様々な意味合いで、気がついて行動していく人たちが出てきているが、まだまだ少数派に感じる。多くの人たちが覚醒し、信念に基づいて発言する、行動していくようになれば、必然として社会は変わっていく。
 今年は、そういううねりが、もう少し目に見えるような形になっていくように、新しい未来の夜明けの始まりとなるように、私もより意志的に動いていきたい。


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by shmurat | 2017-02-18 21:43 | 今の世界を考える | Comments(0)