自然に生かされている、ということ

 近年いつも考え続けていること。

それは、人間は何故存在し、何のために生きているのか。
 そして、自然の中で生きている私たちは、自然があるからこそ生きているのであるということ。
自然を畏怖、畏敬し、そのなかで生きていくことは運命であり、だとしたら私たちは自然に従って生きなければいけないのではないか。
そのようなこと(実際には、関連したことを諸々感じているのだが)を考えているが、
強く考えだしたのは、多くの人たちがそうであるように、2011年3月の大地震、大津波、そして原子力発電所の事故からだ。

人間は、長い間、概ね自然の中で静かに暮らしてきたのだと思うが、とくにイギリスでの産業革命以来、自然に対抗しようとして来たように感じる。
 私たちは、何が出来るかではなくて、出来るとか出来ないとかにかかわらず、与えられた自然の大切さやかけがえのなさを体感し、その中で他の動物や植物たちと共に生きていくことを求められているのだと思うが、私たちの祖先は、自然に打ち勝つことや科学の万能性を証明することに全精力を注ぎ続け、今では世界は酷い有様になりつつある。
 さまざまな環境汚染、公害、戦争、自然破壊、これらは今では普通に行われ、多くの場合、私たちの感覚は鈍ってしまい、それらの異常さにほとんど気がつかない。気がついていないのではないか。

 このことについて書き出すと、本が一冊書けてしまうような気もするが、ここではごく簡潔にまとめたい。

今まで私たちが生きてきた世界のことはとりあえず置いておくとしても、2011年3月に起きたことを経て、私たちは理解したはずではなかったか。
 自然の圧倒的な力。この世界の支配者は誰なのか(何なのか)ということは、あの事態を目にすれば明白だった。少なくとも私は、自然の力を目の当たりにし、また人間が作り上げてきた科学技術、建築や社会インフラ等々のあっけない崩落を目にして、私たちは分をわきまえるべきだと悟った。
 とはいえ、生活を一気に変えることも出来ず、まずはしっかりと意識を持ち、少しずつシフトしていこうと考えてやってきたのが、以来の私の生き方であり、同じような思いで意識や生活をシフトさせた人は、少なからずいると思う。
 
 上に書いてきたことと関連するが、人間が生きていくうえでもっとも大切なことのひとつは、間違いなく「食」である。
そして、私たちの生きる社会は、このことでも自然を愚弄し、機械で大地を痛めつけ、あらゆる薬品(肥料、農薬と称して)を使い、虫たちを殺し、土壌を破壊し、自らの健康さえ害しながら、さらに最近では遺伝子組み換え食品などと、いよいよ愚の骨頂も極まりつつある。
 そのようなときに知ったのが、自然農や自然農法と呼ばれる農業のやり方で、耕さず、農薬や肥料を用いず、草を刈らず、といういわゆる昔の人間たちが本来行っていた農のやり方だ。
 川口由一氏や福岡正信氏らの本を読み、これは単なる農業の革新的なやり方の本ではなくて、あらゆることの本質への気づきを与えてくれるものだとわかった。
 私は、彼らのような実践は出来ていないが、しかし、その実践の意味やその根底に流れている思想のようなものは、はっきりと理解できたし、その重要さは、間違いのないものだと感じる。
 
自然に逆らわず、生かされていることを実感し、機械を使わず、大地の豊穣さのみで作物を育て、いただく。そして、地域の人たちで分け合って食す。これが実現出来れば、大規模農業もいらない、農産品を遠くに運ぶことも必要ない(飛行機や鉄道、道路網を使わない)ので、環境にも負荷を与えない。自然や環境を壊さないので、豊かな自然が維持され、その恩恵を受けながら暮らすことが出来る。これこそが、人間本来の暮らしだろう。
 
 いずれにしても、私たちの生きる社会システムは、わずか5年前の教訓さえも忘れてしまったようだ。農業の機械化や薬品使用、遺伝子組み換えへの流れは変わらず、原発さえも再稼働への動きが進み、あらゆる自然破壊の開発は継続され、リニア新幹線などの巨大な破滅的なプロジェクトも着工している。つまり私たちは、2万人からの人々が命を失ってまで示した教訓をまったく無視し、忘却し、自然に打ち勝つ(?)ためにより邁進し、さらなる破滅へと進みつつあると言えるのではないか。

 あまりにも書きたいことが多すぎ、また問題が大きすぎて、さらに多様であり、まとまりに欠けてはいるが、いわんとするところはある程度は伝わったとは思う。
 私たちには、どれほどの時間が残されているのだろうか。
 
それさえも、誰にもわからないことだ。まさに、神のみぞ知る ということであり、私たちは、ごく身近な未来さえも知り得ない、それほどの能力を持っていないということであり、だからこそ謙虚にならなければならないと思うのである。

まずは意識すること。
そこから先は、それぞれの人の考え次第だが、まず知る、意識することから始めたいと思う。

私たち人間には、地球の環境を我が物顔に支配し、破壊し、醜悪に作り替える権利はないのだ。
そのことに気がつくだけでも大きな一歩だと思う。
そして、そこからが始まりなのだ。

現在のように、科学技術万能の世界で、あらゆる人為的な恩恵にどっぷりと浸かって生きている私たちには、自然の摂理の中で、その法則に身を任せて生きるということは、極めて難しいことでもある。
でも、小さなことから始めていけばいいと思う。
たとえば、いつも車に乗っているのなら、1日は乗ることを止めようとか、今日は1時間だけ電気を消してみようとか、いつも外食をしているのなら、今日は自炊してみようとか、ごく身近な小さなことから始めてみる。
日本中、世界中の人たちが、小さなスタートを切るだけでも、きっかけになると思う。
 この社会のシステムも、はじめはこうしたら便利だ、こうすると良くなるなどということがきっかけだったはずだ。
だとしたら、多少不便になるかもしれないが、少しずつ始めて、いつしかそれが当たり前になっていく。そういうことだと思う。

さあ、今日から少しずつ始めてみよう。

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by shmurat | 2017-01-09 18:06 | 日々徒然の記 | Comments(0)